光言社 編集者ブログ

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2024年06月20日

呼名祈祷で感じたこと

 今年2月、『世界家庭』編集部4人のうち、3人が同時に新型コロナに感染したことがありました(こちら)。

 そのとき感染しなかったのが、私です。

 編集部の感染状況を知ったのは、日曜日の夕方でした。

 たとえ感染していても、症状が出ない人もいます。私は、〝万が一感染していて、家族にうつしていたらどうしよう〟と、いつも以上に焦りました。

 というのも、翌日から次女(中2)の期末試験が始まるからでした。結果は内申点に反映され、高校受験にも影響するのです。

 以前に学校から、「試験期間に休むと、あとでテストを受けても100%の評価はされず、参考程度にしか扱われない」と説明を受けていました。

 私はすぐに、娘に体調を尋ねました。すると、「喉がイガイガする」と言うのです。

 やばい……。

 「塾をやめても、できることを見せるからね!」と、自分で計画を立て、今まででいちばん勉強をしていた娘でした。

 

 

 そんな姿も思い浮かび、心配性の私は、大丈夫だろうかと落ち着かなくなりました。

 夜、寝床に入っても、頭はぐるぐると回転し、全く寝つけません。

 午前2時になったとき、〝どうせ寝られないし、朝まで呼名祈祷をしよう!〟と起き上がりました。

 『世界家庭』の編集に携わる中で、呼名祈祷の証しに触れていたことも、後押ししました。 

 切実な思いで娘の名前を唱え続け、しばらくすると、冬にもかかわらず蚊が襲ってきました。そして、おなかが痛くなってトイレに駆け込むこともありました。

 〝試練〟と言うには軽すぎる出来事ですが、〝これらを乗り越えれば、きっと導かれる〟と思わされました。

 祈りながら朝を迎えたとき、私はこんなイメージを抱いていました。きらきらと光り輝く中、娘が笑顔で、「すっかりよくなったよ!」と言ってくると。

 ところが現実は、「喉、痛くなってるんだけど」と一言。

 私は力が抜け、〝奇跡を起こすのにふさわしい動機と精誠ではなかったのか……〟と思いました。

 娘は、幸い発熱もなく、テストを受ける気満々だったため、学校に行き、無事に帰宅。

 2日目に備えて勉強していたところ、その夜に発熱したのです。

 私は一晩付きっきりで、おでこをぬれタオルで冷やして看病しました。しかし快復せず、学校を休まざるをえませんでした。

 そして、病院での診察結果は、「インフルエンザB型」でした。新型コロナではなかったのです。

 実は、娘のクラスでインフルエンザがはやっていて、1日目から多くの生徒が休んでいたのです。

 試験期間の終了後、学級閉鎖となり、週明けに、マイナス評価なしでテストを受けることができました。私は、学校側の寛大な措置に心から感謝しました。

 テストを終えて時間ができたからか、娘は、かばんにつけるマスコット作りに励んでいました。

 そして、私にも作ってくれたのです。「会社で飾ってね」と言われたので、今、モニターの下につるしてあります。

  

 娘との親子関係がわずかでも深まったこと。それも、呼名祈祷の恩恵だったのだと思います。

 一方、娘と教会との距離が近いかというと、そうではありません。少し前、娘から「正式に退会させてほしい」と言われました。〝友達にバレたら、変な目で見られるから〟という理由でした。娘は、マスコミ報道の影響を〝しっかり〟受けていたのです。

 私は、一人になったとき、涙がポロポロと流れました。

 通勤の際、3人の子供たちの名前をぶつぶつと唱えながら歩くことが多くなりました。

 最近ふと、〝呼名祈祷って風船に空気を入れているみたいだな〟と感じました。風船は、形や大きさ、素材がさまざまで、浮き上がるための空気(ヘリウムガス)の量は違います。でも、どんな風船でも空気を入れ続ければ、いつかは浮かび上がります。

 子供たちに実体で尽くし、その心にどれだけの思いを込めれば、天に向かって浮かび上がるのでしょうか? 私には分かりません。

 天の前に名前を1回呼ぶのは、本当にわずかなことです。それでも、決してゼロではありません。ゼロでないなら、積み重ねれば必ず、子供たちの心を満たすときが来るはずです。そう信じます。

 いつの日か、家族皆で神様のもとに飛んでいきたいです。

 そして、全ての食口、祝福家庭の皆さんが、そのようになることを願っています。

  

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