編集の仕事を始めたころ、大先輩から『悪文』(岩淵悦太郎編著、日本評論社刊)という本を薦められました。タイトルを見て、「この先輩は、おまえは文章が本当にへたで、どうしようもないな。この本を読んで、もっと勉強しろ!」と言おうとしているのだなと思いました。
その後、今日まで何人にも紹介したのですが、反応はみな同じようなものでした。とても嫌そうな顔をするのです。
発行した出版社には申し訳ないのですが、表紙を見ただけで、気分が悪くなってしまいます。タイトルが強烈なうえ、とても暗いのです。柿色の表紙に濃い茶色の「悪文」の文字がデカデカとあり、それが「おまえは文章がへたくそだ」と無言で圧力を加えてくるのです。タイトルの下のほうには、葉っぱが一枚、水に流れていく絵が描かれているのですが、それが何を意味するのかよくわかりません。かなりレトロなタッチの絵で、それがまた暗い。とにかく、人に快く受け入れられない本なのです。
ところが、この本は文章にこだわりをもっている人たちにとっては、正にバイブルのように読まれ続けられている本なのです。書かれている内容は、「なるほど、そうだったのか」と、思わずうなずかされるものばかりです。なぜ文章がわかりにくくなってしまうのか、どうすればわかりやすくなるのかを、具体的な例を挙げて説明していて、それがとても納得できるのです。
初版は1960年。今からもう半世紀以上も前で、編著者の岩淵氏は、とっくに亡くなっています。それでも、今なお、この種の本の名著として読まれ続けているのです。例文が官庁の公文や新聞記事などが多いこともあり、マスコミ関係者が読んでいると言われています。
今は、この種の本がいろいろと出版されていますが、文章の書き方に関心のある方には、名著といわれるこの本をぜひ読んでいただきたいと思います。
ただ、なにしろ受け入れられにくい本なのです。それで、この本の内容を参考にしつつ、わかりやすい文章はどういうものか、わかりにくい文章はどういうものか、どのようにすればわかりやすくなるかを、私なりに考え、紹介していきたいと思います。ご一緒に考えていただければと思います。
(徳)