「佐藤君は、昨年のようなやる気が見られない営業をしている」
これは困った文章です。なぜでしょうか。読み方によって、全く違う意味にとられてしまうからです。
佐藤君は昨年、やる気があったのでしょうか、それともやる気がなかったのでしょうか。
「昨年のようなやる気」が見られない営業をしているのなら、昨年はやる気があったことになります。昨年のような「やる気が見られない」営業をしているのなら、昨年もやる気がなかったことになります。
書いている人は、「佐藤君がやる気のない営業を今年もしている」ことを言いたかったので、読む人も当然、そのように受け取っていると思っているのです。しかし、全く違った意味にとられる可能性があるのです。
「昨年と同じように、やる気のない営業をしている」、あるいは、「昨年見られたような、やる気のある営業をしていない」と書けば、誤解はなくなるでしょう。
話し言葉では、こうした誤解を招く可能性はより高くなります。
「遭難する直前に救援要請の無線連絡をした富士登山隊の白川です」
白川さんが無線連絡をしたものと思っていたら、よく話を聞いてみると、連絡したのは別の隊員だったというのです。白川さんは、「『無線連絡をした富士登山隊』の白川」と言ったつもりだったのですが、聞いている人は、「無線連絡をした『富士登山隊の白川さん』」と受け取っていたのです。
このように、受け取り方によって別の意味になってしまうことはよくあることです。特に修飾語が重なると、誤解を招く可能性が高くなります。違う意味で受け止めたほうが悪いのではなく、誤解を招くような文章を書いた(あるいは、言った)ほうが悪いのです。違った意味にとられないよう、よく注意しましょう。
(徳)