光言社 編集者ブログ

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2024年07月25日

神さまへの手紙

 日常の中で、子供の頃を思い出すことはありますか?

 3日前の夕飯はすぐに思い出せないのに、子供の頃に行った場所や、周りの大人との何げない会話などは覚えているという現象、結構〝あるある〟ではないでしょうか。

 私も、小さい頃の一場面が、ふと、よみがえることがあります。

 今回のお話は、その中の一つです。

 小学生になったばかりの頃だったと思います。

 私は、時々、神様に手紙を書いていました。

 当時は携帯電話など持っていませんでしたから、私にとって、誰かに手紙を書くというのは自然なことでした。

 友達に手紙を書く感覚で、神様にも手紙を書こうと思ったのでしょう。

 ただ、肝心の内容は、ほとんど覚えていません。まだ書けることも少なかったでしょうし、きっと、たわいもないことを書いていたと思います。

 私が大きくなってから、家の片付けをしていたとき、宛名の部分に「神さまへ」と書いてある、白い封筒をいくつか見つけました。

 親が書いてくれたであろうものもあれば、私が慣れない字で書いたものもありました。

 見つけたときは急いでいたので、中身を見る時間がなく、手紙自体も、恐らく引っ越しの際にどこかへ行ってしまったようです。(汗)

 さすがに捨ててはいないと思うので、また片付けをしていたら出てくるかな……?

 さて、当時に話を戻します。

 あるとき、家族で、教会長ご夫妻に面談をしていただく機会がありました。

 神様への手紙のことを、親が教会長にお話ししていたのか、教会長は、私にこのようにおっしゃいました。

 「神様に手紙を書いているんだってね。いやぁ、すごいねえ! 神様はね、とってもうれしいと思うよ」

 一言一句は記憶していませんが、とにかく感心しておられるごようすだったことは、しっかりと覚えています。

 (教会長が、幼い私を喜ばせるために、たくさん褒めてくださったということもあったと思いますが^^;

 当時の私は、神様に手紙を書くのが何でそんなにすごいことなのか、神様は何でそんなにうれしいと思うのか、分かりませんでした。あまりにも当然のように書いていたからです。

 そして、時は流れ、中学生になりました。

 ある日、『身近な神様』(光言社刊)という本を読んでいると、こう書いてありました。

 「神様に手紙をかいてみましょう。ダイヤモンドの何千倍も美しい神様の涙が、きっと喜びとともに、あふれるでしょう」

 〝あ! 教会長と同じようなこと言ってる!〟と、びっくりしました。

 でも、なぜそこまで神様が喜ばれるのかは、正直、まだ分かりませんでした。

 その後、み言を学び、神様の悲しみに触れるにつれ、少しずつ理解できるようになっていきました。

 ご自身の全てを懸けて創造されたアダムとエバをサタンに奪われてしまった神様の心情。

 神様が親であることを知らないまま生きている人間たちを見詰められる心情。

 子女が苦しむ姿を見て、共に苦しみながらも、その子女本人が責任を果たさない限り、助けてあげることができないという事情。

 それらを思ったとき、「神さまへ」と書かれた子女からの手紙は、たとえ拙いものであろうと、神様を慰労してさしあげることができるのかもしれないと、感じるようになったのです。

 大人になった現在、ふいに当時を思い出しては、〝あの頃の純粋な自分はいずこ……〟と、少し悲しくなったりもします。(笑)

 それと同時に、初心に立ち返って歩もうと思わされます。

 真のお母様は、「天心苑特別祈祷室」を与えてくださいました。

 貴いその場所で、幼子のように純粋な心をもって祈りを捧げること。そして、天の願いを実現するために精誠を尽くし、実践すること。

 小さい者ではありますが、〝天の父母様、天地人真の父母様を喜ばせてさしあげたい〟という思いは大きく持って、祈りと精誠を捧げ続けていきたいです。

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