光言社 編集者ブログ

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2024年07月11日

三世代同居はじめました(前半)

 

 家庭連合の教えを聞くなかで、また、私自身が祖父母にたくさん愛され育ったことから、私は幼い頃から祖父母と孫が一緒に暮らす「三世代同居」への憧れがありました。

 夫は長男のため、祝福相手を探す際に「両親と同居できる人」を条件にしていたそうです。なかなか決まらないので、「今どき、同居の条件は厳しいかも……」という家庭部長のアドバイスをもとに、その願いは捨てることにしたそうです。そして、ちょうどそのとき、私との出会いがありました。

 最初は仕事などの関係から、夫の実家から車で1時間弱の距離で家庭を出発しました。そののち導きのなかで、第一子の妊娠を機に、二世帯で住むことになったのです。
 そして今年で、同居をはじめて2年になります。

 今回と次回の2回に分けて、三世代で暮らして義父母に感謝していることを紹介します。

 前半は、「義母と嫁(私)」と題して、義母について語りたいと思います。

 義母は一緒に暮らし始めて1年、病気のため聖和しました。出会ったときにはすでに病におかされていて、とても健康とは言えない状態でした。聖和後に幾度となく感じるのが、「元気なときに出会って、もっといろいろなことを一緒にしてみたかった」という思いです。

 それでも、たった1年でも一緒に暮らすことができたのは、私にとっても、義母にとっても、何より神様にとっても、幸せなことだったと思います。

 聖和して、義母のことを振り返ってみました。義母は、闘病生活の中でも、やさしい笑顔で人のために生きる方でした。
 自分で言うのもなんですが、私は我が強い性格だと思っています。そんな私をやさしく包んでくれる人でした。

 嫁である私を娘のように大切に思ってくれていました。特に印象に残っていることは、一緒に夕飯作りをするなかでの出来事です。揚げ物をするときはいつも、「油が飛んで、顔にシミができるといけないから」と言い、私にやらせませんでした。

 聖和の1か月前からは入院していましたが、そんなときでも、信仰の親が来ると聞けば、「何か飲み物を準備してほしい」と言い、次男(夫の弟)が、体を動かすのもままならないまま横たわる母の姿を見てショックを受け涙したときは、「私は大丈夫だから、泣かないで」と言い、常に人を気遣う人でした。

 聖和する2か月前、そして入院する1か月前、義父母と私たち夫婦と子供は、二世帯で暮らすための新居に引っ越しました。義母とはたった1か月しか、その家で暮らすことはできませんでした。たった1か月ではありましたが、そのことを振り返るなかで思い出された真のお父様のみ言があります。

「神様が保護できるその国で死ななければならないではないか。私がそのように生きて逝くことができなければ、私の生涯は悲惨な生涯ではないか。したがって、死ぬ前に神の国を取り戻し、たった一日だけでもそこで暮らしてから逝かなければならない」というのが、私の生涯の願いとなりました。
(天一国経典『平和経』二・13)

 義母と新居で過ごした時間は、たった1か月でしたが、たった1か月でも理想の家で一緒に暮らすことができました。
 もちろん、もっと一緒に過ごしたかった気持ちはあります。それでも条件的だったとしても、一緒に暮らすことができ、霊界で共に暮らす条件になったのではないだろうか、とも思います。

 最期、病床に伏しながら亡くなる姿を見るのは、とてもつらいことでした。ですが、入院直前まで教会でスタッフをしたり、家族のために尽くしたりする姿を見て、私は多くを学びました。

 聖和式に参加する皆が口を揃えて義母に感謝していて、多くの人が涙を流しながら見送りました。そのようすを見て、(もちろん家庭連合的には、永遠の別れではなく、本来は悲しいものではないかもしれませんが、)「多くの人に涙を流され、慕われながら死にたい」と思うようになりました。それは、私にとって聖和に対する新しい気づきでした。

 さらに義母は、死ぬ間際まで天寶家庭になるため、努力を怠らない人でした。「天寶家庭にならないと死にきれない」とも言っていたそうです。聖和後、聖和式を準備するなかで、天寶家庭として挙行できるか否か、式当日まで二転三転しました。それでも、ギリギリのところで天寶家庭と認定され、聖和式を行うことができたのです。
 その流れを見て、諦めないことの大切さを学びました。

 一見、不可能に見えるようなことでも、諦めずに投入することで、結果として表れてくれることもあるようです。

 また、義母は生前、ことあるごとに「夫は私のメシヤで、本当に感謝している」と言っていました。義母は6000双で祝福を受けましたが、うまくいかず苦労し再祝福を受けたと聞いています。その苦労あっての言葉だと思い、重みを感じていました。

 『祝福家庭』112号の「家庭青年のための家庭教育講座」で、蝶野部長は「代々、夫婦仲が良くなれば 嫁姑問題は起こりません」と語っていました。義母の聖和後、その言葉を目にしたときに、ハッとしました。
 寛大な心で包んでくれ、嫁姑問題が起きずに過ごせたのは、義母が夫を尊敬し、感謝する心を忘れず、良好な夫婦関係を築いていたからかもしれないと思ったのです。

 もしかしたら、心のうちで思うことがあったかもしれません。それでも、周囲には感謝の言葉しか残しませんでした。母親は子供の前で夫(子供にとっての父)の悪口を言ってはいけないといいます。子供の考え方や感情に影響を与えるからです。
 ついつい私は口を開けば、不平不満を言いたくなってしまうのですが(笑)、義母の姿に倣っていきたいと思ったものです。

 このような義母に対する気づきや学びは、一緒に暮らして毎日時間を共にしたからこそ得られたものだと思っています。義実家に遊びに行くだけでは、感じられなかったであろう多くのことを感じることができた「三世代同居」に感謝です。

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