昭和60年(1985年)、縁あって光言社で働くことになりました。それから38年が過ぎました。
あの頃、松濤本部には、「この人は、とことん愛国者だ」と、私が最も感銘を受けた先輩家庭がおられました。故・久保木修己名誉会長です。私は今でも尊敬の思いから、「久保木会長」とお呼びしています。
久保木修己名誉会長
機関紙『中和新聞』の記者だった私は、久保木会長の講演会を取材する機会があり、幾度か講演を拝聴しました。そのお話の端々に、日本の国と天を愛する心情が感じられました。98年12月に聖和されてからは、あの格調高いスピーチに触れる機会はなくなってしまいましたが、過去に出版された講演集を手に取ると、今でも会長の燃え上がるような魂の叫びを感じることができます。
鳥や動物たちには、帰巣本能があります。人間にも故郷に帰りたいという、動物の帰巣本能に似たようなものがあると思います。それがさらに洗練され拡大されたものが、自分の生まれた国を愛するという「愛国心」であると、会長は、よく講演会などで語られていました。
しかも、会長が語られる愛国心とは、その本能の次元だけにとどまるものではありません。会長の講演集には、自作の詩を引用されながら、次のような文章が収められています。
以前に『富士は燃えた』と題する詩をつくったことがある。
「神が愛したこの美しき祖国、だから愛さなければならない。神が汝らと呼びかけ求めたはらから達、だから私も尋ねて行こう……」(『久保木修己講演集』155ページ)
「神様が大好きでしかたがない」という少年時代を過ごし、他宗教を信仰してきた経歴をもつ私にとって、胸にしみる詩です。
講演の中で会長は、たびたび「わが国、日本」とおっしゃっていましたが、その言葉の背後には、「神様が愛されている、わが国日本」という熱い想いが込められていたのです。会長こそ、本物の愛国者です。
その一方で、会長はたいへんおちゃめな一面を持っていました。左腕に中和新聞の腕章をつけた私が、一眼レフカメラのレンズを会長に向けると、「どうだ」と仁王立ち。「会長、格好良すぎて中和新聞に掲載できません」と私が言うと、「そうか」と言って、笑っていました。
昨年から今年にかけて、いくつかの政治団体が松濤本部前に街宣車で乗り付け、私たち家庭連合が反日団体であるかのような主張を繰り返していました。しかし実際には、家庭連合こそ熱い愛国心を胸に秘めた者たちが集まっている宗教団体であることを、私は知っています。(F)