『世界家庭』では、家庭連合のWeb説教を担当している柴沼邦彦・天一国特別巡回師(777 双)の「誌上礼拝」を不定期で掲載しています。
ここでは、4月号の誌上礼拝の内容を、一部紹介します。
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イサクとリベカは、結婚してから20年を経ても子女を授かることができませんでした。それでイサクは、切実な祈りを捧げたのです。その祈りは聞き届けられました。
「ところがその子らが胎内で押し合ったので、リベカは言った、『こんなことでは、わたしはどうなるでしょう』」(同25・22)
この夫婦は、神様にどんなことでも尋ねる信仰心の持ち主でした。自分かってに判断しないのです。リベカは、おなかの中で赤ちゃんが争うことも神様に相談しました。そのようなリベカに、神様ははっきりと語りかけられます。
「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(同25・23)
神の啓示、願いを絶対視したリベカ
Isaac blessing Jacob(1638, Horst, Gerrit Willemsz.画)
年老いて目が見えなくなったイサクは、エサウを呼びます。そして、祝福をするから、しかを獲って料理し、持ってくるように伝えました。
一方で、リベカは神の啓示を決して忘れていませんでした。イサクがエサウを祝福すれば、ヤコブを長子にするという神の願いに反すると考えたのです。リベカは、エサウが狩りに出たとき、ヤコブを呼んで言います。
「わたしの言葉にしたがい、わたしの言うとおりにしなさい。群れの所へ行って、そこからやぎの子の良いのを二頭わたしの所に取ってきなさい。わたしはそれで父のために、父の好きなおいしい食べ物を作りましょう。あなたはそれを持って行って父に食べさせなさい」(同27・8〜10)
神の啓示、願いを忘れず、絶対視して行動するリベカの姿は、人間的な感覚、この世的な常識では理解ができないでしょう。私たちも、蕩減復帰の道を知らない限り、理解することができないのです。
リベカがヤコブに助言したとき、ヤコブはこのように答えました。
「兄エサウは毛深い人ですが、わたしはなめらかです。おそらく父はわたしにさわってみるでしょう。そうすればわたしは父を欺く者と思われ、祝福を受けず、かえってのろいを受けるでしょう」(創世記27・11〜12)
完全におじけづいていた息子に向かって、リベカは「あなたがうけるのろいはわたしが受けます。ただ、わたしの言葉に従い、行って取ってきなさい」(同27・13)と励まします。
そして、子やぎでイサクが好きな料理を作り、ヤコブにエサウの晴れ着を着させて、手と首のなめらかな所には子やぎの皮をつけさせてイサクのもとにやりました。
ヤコブは、リベカの言葉を信じて行動し、イサクから祝福を受けました。
神様は、イサクがヤコブのために祝福の祈りを捧げたとき、だめだとおっしゃいませんでした。その点から見ても、ヤコブを祝福することが本来の願いだったと分かります。
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柴沼巡回師は、「ヤコブ路程は、目的を果たすためなら、知恵を使い、うそをつくこともありうると教えているのではありません」と語っています。
ヤコブ路程は、なぜ、「サタン屈伏の典型路程」なのか。正しく理解したい方は、ぜひ、本誌(76〜81p)をお読みください!
*編集部から*
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