私の母は子育てをしながら「〜しなさい」と言うことがありませんでした。
学生の頃も「勉強しなさい」と言われた記憶がなく、言われたとすれば、一つだけ。
「弟の面倒を見てあげてね」だったそうです(私はあまり記憶にありません笑)。
振り返ってみれば、確かに「自由に育てられたなぁ」と思います。
幼稚園に入る前は、朝から晩まで公園で遊ばせてくれたそうです。
母曰く、普通の家庭は朝に来てお昼に帰るか、午後に来て夕方に帰るかのどちらかだそうです。
しかし私は「帰りたくない!」と言ったそうで、本当に特別な用事がない限りは一日中、満足するまで外で遊んでいたようです。
そして、小学生の頃に私は「清平(現、HJ天宙天寶修錬苑)で行われるサマースクールに参加したい!」と言ったそうです。その年に地元の教会から参加する同性の友達はいなく、母は心配したそうです。
けれど、「みんな食口で、家族だから大丈夫!」と答えたのだとか(この発言をした記憶は全くありません笑)。
母の心配をよそに渡韓した私は、新しい友達を作って帰ってきました。
その後も、中高大と「やりたい!」と思うことには全力で向かっていった私でしたが、そんな好奇心旺盛で自立した(?)歩みをすることができたのは両親のおかげだと思います。
だからと言って放任していたわけではなく、小学生の頃は宿題を一緒にしてくれたり、中学生になってからは苦手な英語の音読を一緒にしてくれたり、まだ読めない漢字が多かった『原理講論』の訓読に毎日20ページぶんも付き合ってくれたり、「一緒にする」という形をとってくれました。
こうして「好きな科目を勉強するのが楽しい」という思いで比較的楽しく学んでいた私でしたが、大学受験のときに壁にぶつかります。
そのときに出てきた思いは、「どうしてうちの両親はもっと私に勉強をさせてくれなかったのだろう」ということでした。
もっと勉強させてくれていたら、受験勉強に苦労しなかったのではないだろうか?
そんな思いが生じて、親の教育指針に反感を覚えるようになり始めました。
しかし大学生になったとき、本当に好きな学びを自由にする中で「無理に勉強させられて、勉強嫌いになっていなくてよかった」と思えたのです。
もちろん「無理に勉強させたら勉強嫌いになる」というのが法則ではありません。うまく相対して学びを深める子供もいることでしょう。
母の教育方法が合っていたのかは、いまだに分かりません。もっと良い教育方法があったかもしれません。しかし、少なくとも私は「この育て方をされてよかったかな」と思いました。
教育は答えがないからこそ難しい。
教育はすぐに結果が出ないから難しい。
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