先日、都営大江戸線の職員内で新型コロナウイルスの集団感染が起きた件について、「洗面所の蛇口を介して感染が広がった可能性が高い」という報道がされました。
この件について考えたとき、私は「知識」と「情報発信」の大切さについて再認識させられたのです。
実を言うと私は、高校生のある日を境に手を洗うとき蛇口のハンドルも必ず洗うようになりました。それは、ある先輩の研究発表がきっかけでした。
私の通っていた高校は総合学科だったため、「探求」という科目が設置されていました。
簡単にいうと、大学の卒業論文のようなもので、それぞれ自ら決めたテーマを1年間かけて調べたり、成果物を作成したりする授業です。最終的には、一つの論文として仕上げ、発表します。
その発表の中で、目に留まったものがありました。
それは「手を清潔に洗っても不潔なままの蛇口を閉めると、手は再度不潔になってしまう」という内容でした。
実験結果に基づいて、「手を洗う際、蛇口も清潔にすることが大切だ」という結論でした。
発表を聞き、私は衝撃を受けました。その後、どれくらいの人が蛇口のハンドルを洗うようになったのか分かりませんが、私はその日を境に蛇口を洗うようになりました。
もともと潔癖症の傾向があったこともあり、その後もそのくせは消えていません。
そのような中、今回の報道を耳にしました。
今回のことを言うと、蛇口のハンドルだけではなく水が出る部分も指しているかもしれませんが、いずれにせよ蛇口のハンドルが汚いままだったら手を洗っても水を止めるときにリセットされてしまいます。
「そもそもなんで蛇口のハンドルを汚いと思わないのか?」と考えたとき、「知らないから」「考えたことがなかったから」という結論にたどり着きました。
私は高校時代の研究発表があったから実践をしていたわけで、もしそれがなかったら分かりません。
もしかしたら今回の報道を聞いた人の中でも、蛇口のハンドルを洗うようになった人は少ないかもしれません。
この件で、「自分の常識≠他人の常識」ということを再認識し、「知識」と「情報発信」の大切さに気づきました。
そして、「伝道も同じなのではないだろうか?」という考えに至りました。
「こっちのほうがよいのに、なぜ皆しないんだろう」と思うようなことがあっても、本人が知らないのであればどうしようもありません。
もちろん、いくら伝えたとしても責任分担は本人にあります。
しかし、伝えなければ責任は私たち祝福家庭にあるのではないでしょうか。
霊界に行って氏族や友人・知人に顔向けできないことがないように、家庭連合の教えや真の父母様をきちんと伝えていくことが大切だと思いました。
今は、お母様が先頭に立たれて私たちを導いてくださっています。有力な武器であるお母様の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』もあります。
あとは、自らの行動だけなので、私自身も日々精誠を積んでまいりたいと思います。
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力の源になります(笑)
(筆:あやな)