『原理講論』には難しい言葉が使われている箇所が多くあります。そのため、意味がつかめなかったり、文脈からしてこうではないかと推測するものの、違った意味に捉えてしまうようなこともあります。そこで、難しい言葉に解説を加えてみました。
[ ]の中は、『原理講論』のページ数と、行数を示しています。一つの言葉に、二つ以上の意味がある場合、『原理講論』で使われている意味のほうに☆印をつけました。反対語は⇔で、参照は→で示してあります。
ユダヤ・キリスト教文化圏では、聖書を中心に、文化・芸術が花咲いています。聖書が暗記するほどに読まれ、人々の生活全てに影響を与えているのです。ユダヤ・キリスト教文化圏の人々が聖書を読む以上に『原理講論』を読み込んでいきたいものです。
[21-2]何人(なんぴと)
いかなる人であっても、誰であれ例外なく。
[21-3]生(せい)の表現 [24-1]生(せい)の目的
生:生きること。
[21-6]ややもすると
とかくそのような状態になりやすいさま。
[21-8]をして
「AをしてBせしめる」で「AにBさせる」の意味になる。
[21-8]不義
正しいことに背き、道に外れること。
[21-10]指向
ある方向を目指すこと。
[21-11]彷徨(ほうこう)
さまよい歩くこと。あてもなく歩きまわること。
[21-13]呵責(かしゃく)
自分の中にある良心が、自分を責め立てて、そのために追い詰められる状態をいう。
[22-1]発露(はつろ)
心の中にあるものや隠していたことが表に現れ出ること。また、現し出すこと。
[22-3]有史
文字で記録された史料があること。
[22-5]パウロ
紀元1世紀のキリスト教の使徒。
[22-6]律法
ユダヤ教において、旧約聖書のモーセ五書に記された戒律。
[22-6]肢体(したい)
手足とからだ。
[22-8]慨嘆(がいたん)
憂い嘆くこと。憤り嘆くこと。
[22-17]後天的(こうてんてき)
生まれてからのちに身に備わるさま。
(1040)