Q: 信仰するのが恥ずかしい
A:「信仰するのが恥ずかしい」と考えている方は、信仰について「現実の人生の活動とは無関係なもの」という見方をしているかもしれませんね。一般的にも、宗教や信仰は精神分野だけの問題で、現実の生活とは関係ない、という誤解があります。
しかし、宗教の「宗」という漢字は「根本」という意味があり、本来宗教とは、人生と生活の根本原理を教えてくれるものです。実際に、特定の宗教を信じていない人でも、なんらかの信念やイデオロギー、人生観に基づいて生活しているはずです。ですから、私たちのまわりには、あらゆる「信」が取り巻いていると言えるのではないでしょうか。それらの「信」を整理し、系統だてたものが信仰です。
そして、宗教の理念は、「信」を高次元に体系づけたものが根幹となっているのです。人生を生きていくうえで、確固たる理念をもつのともたないのとでは、全く異なった結果を導くことになります。
例えて表現すると、無信仰は背骨のない人体であり、未知の土地を案内も地図もなしに進むようなものですし、誤った宗教を信じ、誤った信念をもって生きるのは、背骨が曲がった人体のようなものであり、間違った地図を頼りに旅をするようなものなのです。