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2024年10月17日
授受作用のポイントは“よく受けて”いただくことにあり? 読者・視聴者の皆さまの声が聞きたい!~お客さまは神様です
授受作用といえば、よく授けることの方が強調されることが多いのですが、あえて今回は、「授受作用のポイントは“よく受けて”いただくことにあり」と、申し上げたいと思います。
編集・制作の仕事をしておりますと、読者や視聴者のかたへの感謝の思いを日々痛感いたします。
私どもがお届けしている活字や映像による制作物、これらに対する読者、視聴者の皆さまの反応や感想が、制作者にとってどれほど励みになっていることでしょうか。
もちろん、耳障りのいい感想ばかりを頂いているわけではありません。厳しいご指摘やご意見もあります。しかしそれが「よく受けて」くださったコメントであれば、その内容はありがたく歓迎するものであり、制作者の血となり肉となるものです。
少々長くなりますが、対象の価値について、真のお父様、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生が1973年10月20日に米国で語られたみ言(「人間に対する神の希望」)から引用させていただきたいと思います。
筆者が信仰を持って間もない頃、大変感銘を受けたみ言の一つでもあります。
もし、私が空っぽの誰もいない聴衆席に向かって大きな身振りをしながら大声で叫んだとすれば、そのような私を見た人は誰でもきっと「あれは、気違いか?」と思うに違いありません。
しかし、もし私が誰か授受する相手、誰か私にこたえる対象――私の前にいる一人の小さな子供であってもよい――をもち、私の心と魂を彼に注入しているならば、そういう私は正常であると見られるのです。
ただ一つの違いは、誰かが対象として存在しているということです。しかし、その小さな子供すら聴衆席にいないとしましょう。私は、必死になってごみの一かけらを拾い上げ、それを見つめながら、それに向かって話しかけ、私の心を注ぎ込むことができるでしょう。
そうすれば私は、少なくとも気違いではなくなるのです。なぜなら、一かけらのごみさえ一つの対象となり得るからです。
私が今言いたいのは、対象というものの価値です。我々は、神の対象であるので、神は我々を神と等しい位置に置かれました。
このように、人間は神と同様の価値をもち、神と同様に重要なのです。神は最も高く、貴く、力ある方ですが、神もまたやはり、その対象を必要とする方なのです。そうでなければ神は喜びを感じることができません。
喜びは対象から刺激を受けるときに生じるものです。神であっても、ただお一人で喜びに満ちることはできないのです。
皆様は、神が喜びのために、人間と宇宙を創造されたということを知らなければなりません。しかし、神の喜びは、神がその対象と授受することができる時まで潜伏したままになっているのです。
対象は主体にとって不可欠な存在であり、絶対的な価値を持つものであるということですね。
「しかし、神の喜びは、神がその対象と授受することができる時まで潜伏したままになっているのです」というみ言に、心が痛みます。
「対象」という言葉の持つイメージから、対象の立場に立つと受け身の姿勢にとどまりがちですが、真のお父様のみ言を通して、対象としての主体性、積極性、能動性をもっと意識して持たなければならないなと思わされます。
さて、私たち編集者・制作者は、読者・視聴者である皆さまの喜びのために存在しています。つまり両者の間には、「喜び」という共通の価値を生み出す目的があるということです。
よく受けていただくために、よく授ける。
光言社の全社員が、現在、11月1日を締め切りとする「第18回 お客様の喜び企画」に取り組んでいます。書籍や動画作品の企画、サービス全般に関するアイデアを社内で募集する取り組みです。
お客さまの声が企画の種となることが少なくありません。実際、光言社では常にお客さまからの感想やご意見・ご要望を全社員が共有しながら、日々の業務に努めています。
読者・視聴者の皆さまが返してくださる刺激によって、光言社が日々成長、改善していくことができているといっても過言ではありません。
皆さま、よく受けてください。
皆さまの声を、お届けください。
お客さまは、神様です!
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