筆者の日課の一つに散策がある。
平日の昼時は代々木公園を、週末は自宅近くの公園を、そして時には近郊の低山に出かけて半日ほど歩く。
代々木公園といえば、「聖地」。聖地を中心にNHKと代々木公園をぐるりと40分ほど歩くのがここ数年続けてきた平日のルーティンである。
そんな話題を教会学校で話していたら、スタッフの先生から、小学校高学年の子供たちに聖地をテーマに説教をしてもらえないかとの依頼を受けた。聖地について学んだ後には、日を改めて実際に聖地を巡礼する野外礼拝も企画したいのだという。
断る理由もない。
その日から筆者は、改めて「代々木」詣でに熱を入れ込むようになった。聖地についても学び直し、高学年向けの説教案を練った。
1965年、日本では東京(明治神宮内/1968年7月に代々木公園内に“移転”)を皮切りに、全国8カ所(東京1/31、名古屋2/2、大阪2/3、高松2/4、広島2/5、福岡2/6、北海道2/9、仙台2/10)に聖地が決定されている。今から59年前のことだ。
ちなみに、米国のデスバレーの聖地が決まったのは、この年の2月25日(米国時間)のことである。
明治神宮といえば、1960年の夏、「炎の伝道師」松本道子さん(松本ママ)が明治神宮外苑で40日開拓伝道に全身全霊を投じたことは、教会史においてよく知られている。こちらは64年前の出来事。
ところで…。
1973年、今から51年前のことだが、この年の7月18日から8月9日までの23日間という短い期間に、代々木公園内で真の父母様を中心とする集会が3回も持たれている。
7月18日には、教会本部で子女様の聖婚式が挙行された後、およそ2000人の教会員が集まる中、昼から夜まで長時間にわたってご聖婚の祝賀会が開かれた。
7月21日には同じ場所で1500人規模の集会が行われ、8月9日にも多くの教会員たちが集まる中、証し会の場が持たれている。
航空写真で見れば一目瞭然だが、明治神宮と代々木公園は地理的には一続きであり、一つの森林地帯を形成しているような場所だ。
「『代々木』の聖地巡礼を通して、子供たちに時空を超えた真の父母様との出会いを体験させてあげたい!」
そのためには、解決しなければならない課題があった。
1973年に代々木公園内で真の父母様を中心とする大きな集会が行われたことは事実なのだが、筆者自身はその具体的な場所について把握していなかったのである。過去の記事と共に掲載された写真の範囲でしか知らなかったのだ。
子供たちを集会が行われた場所に案内しようとすれば、その位置をしっかりと特定できなければならない。
1973年へのタイムトラベルを実現するためには、5W1Hをはっきりさせなければならないのだ。いつ、どこで、誰が、何を、何のために、どのようにしたのかを、である。
それを知るためには、当時集会に参加した先輩家庭、あるいはそれを伝え聞いて知っているという人に聞くのが一番である。
しかし事はそう簡単には運ばなかった。知っていると思われる何人もの先輩がたに問い合わせもしてみたが、半世紀以上も前の過去は、容易にはその姿を現してはくれなかった。
先輩たちの証言や写真を頼りに場所を特定しようと、何日も代々木公園に通い、熱心に探索に励むのだが、なかなかたどり着くことができない。
代々木公園は、東京23区内では5番目に広い都市公園である。
公園とはいえ、そこは自然の摂理の中にある。半世紀、51年の間にその様相は変化し、景観も違うものとなっていた。だから位置関係を把握するのも一苦労だ。
公園のレイアウトやオブジェも、そして樹木も、51年前にはあったものがなくなっていたり、51年前にはなかったものが存在していたりする。
聖地巡礼の日まであと3日。
職場のトイレでたまたま隣に並んで用を足していた同僚に、何気なく尋ねてみた。代々木公園で行われた真の父母様の集会場所を知らないかと。
なんと! 彼は知っていた。
先輩教会員に教えてもらったことがあるというのだ。現地に行ってみれば思い出せるかもしれない…、とのこと。
「善は急げ」である。
筆者はその同僚と一緒にすぐに代々木公園に向かった。トイレの神様に感謝しながら…。
写真を見ながら検証を始める。
同僚は昔の記憶を手繰り寄せつつ、あちこち行ったり来たりしながら場所を絞りこんでいく。
そしてついに、その場所にたどり着く。
日本統一運動史における記念すべきその場所には、四本の大木が並んでいた。
51年前に数千人が集まったというその場所には、今はさまざまな種類の樹木が並び立っていた。当時の写真の背景にはっきりと映し出されていたNHKの建物も新宿副都心の高層ビル群も、今は繁茂する無数の枝と葉に覆われた大木によって遮られ、見ることはできない。
筆者は写真に映る樹木と目の前にある現在の樹木の形状を何度も照合し、地形(集会場所の土地の傾き具合など)も念入りに確認した。
別の同僚が探し出してくれた、当時の8ミリフィルムの映像の中にも場所を特定する手掛かりを求めた。
「ここだね」と筆者。
「うん、ここだ」と同僚が答える。
2024年5月19日。
聖地巡礼野外礼拝の当日を迎えた。
曇天ではあったが、天候にも恵まれた一日となった。
参加者は保護者と子供を合わせて70人弱。
渋谷駅で合流した後、代々木公園に向かった。聖地で祈祷会をし、歩道橋を渡ってあの場所に向かう。現在の聖地と1973年のあの場所をつなぐ歩道橋はまさにタイムトンネルのようだ。
筆者は先頭に立って、祝福二世の子供たちを1973年の世界に案内する。
真の父母様と当時の先輩教会員たちの、燃えるような信仰と愛の歓喜に触れさせてあげたいと思った。
「ここにはお父様が、ここにはお母様がお座りになってね…。ここがステージで、教会員たちが歌や合唱や漫才を披露したんだよ。お父様はこの辺にお立ちになってメッセージを語られ、そしてお母様も笑顔で歌を歌われたんだよ。暗くなるまで和動会は続き、最後にお父様が祈祷され、久保木初代会長が参加者に向かって激励のエールを送って集会は幕を閉じたんだ…」
筆者は、部分的に残されていた無声映像の記録を頼りに、7月18日の集会の様子をまるで見てきたかのようにリポートした。過去と現在を、そして未来につなぐための語り部となりたかった。
タイムトンネルを抜けたその場所には、53歳の真のお父様、30歳の真のお母様がいらっしゃった。
最後に、参加した6年生と5年生の男子の感想を紹介したい。
「僕たちが生まれた年(2012年)に真のお父様は聖和されました。直接お父様に会ったことはないけど、お父様が決められた聖地に行けたこと、お父様が過ごされた場所に行けたこと、本当に良かったです」
「今日初めて代々木の聖地に来ました。代々木公園の中の、お父様とお母様が昔来られた場所にも来られてよかったです。ありがとうございました」
恩恵を受けたのは、何より筆者自身である。
一連の取り組みを通して、真の父母様を慕い求める心情世界を育み鍛えてもらった。記録の重要性、伝えることの大切さを痛感する時間にもなった。
霊人体が元気になっている、と自分でも分かる。
探索の道のりで疲れを感じることは全くなかった。むしろ生きがいさえ感じて過ごしていた。そこには、真の父母様を求めて一心に歩む自分の姿があった。
正午のチャイムが鳴る。昼休みの時間だ。
筆者は今日もまた、タイムトンネルをくぐって「代々木」を訪ねる。
(則)
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