私はよく、「万物運があるね」と言われます。
先週も、母からもらったお菓子を、編集部の皆さんに配ったとき、
「光さんは、万物にあふれていますね!」
と言われました。(笑)
思い返してみれば、私は、物をもらうことが多い気がします。
それも、大量に。
韓国に留学していたときは、よく、親戚の伯母さんから、日本のお菓子やカップラーメンが段ボールいっぱいに送られてきました。
私一人では到底消費し切れず、同じ学科の全学年の子たちに配って回ったのを覚えています。
今も何かと、周りの人から、お菓子だったり、果物だったり、物を頂くことが多々あります。
そういえば、以前、友人に手相を見てもらったとき、「お金がたまる手だね」と言われたことがあります。
私の手のひらは、真ん中が大きくくぼんでいるのですが、そのくぼみが、万物をためる手だというのです。
こうしたさまざまな出来事から、「私は、万物運があるかも……?」と思うようになりました。
しかし、なぜ?
私は、ごく普通の家で生まれ育ち、これといった取りえもなく、信仰心も篤(あつ)くありません。
「私はなぜ万物運があるのだろう……」と考えた先にたどり着いたのは、母方の家系のことでした。
母方の親族は皆、人に物をあげるのが大好きです。
親戚の集まりに行くと、テーブルに乗り切らないほどの料理が並び、皆が「これ食べてみたら、これもおいしいよ」と、勧めてきます。
また、会うたびに必ず、大量のお土産を持たせてくれます。
それは、昔からそうなのだと、母が言っていました。
足りないよりは、多いほうが良い。おなかいっぱいになることが、幸せなのだと。
そんな母の曾祖母は、かつて、おすし屋さんを営んでいたそうで、天皇陛下におすしを献上したこともあるそうです。
私の「万物運」は、ここから来ているのかもしれないと思いました。
因果応報、「善いことをすれば必ず返ってくる」というのは、本当かもしれない、と。
正直私は、迷信めいたものは、あまり信じないほうでした。
しかし、私の「運勢」に関しては、ほぼ間違いなく、先祖の功労だと感じています。
なぜなら、現に、母方の家系では「与えて喜ぶ」習慣が今もなお続き、私もその姿に感動している一人だからです。
真の父母様のみ言にも、こうあります。
「すべてを捧げて喜びなさい。空いている所は必ず満ちるようになっている」(『御旨の道』より)
与えた分だけ、満たされる。
それは、物をあげたら物が返ってくる、ということ以上に、
「相手に何か与えたい」という思いが、幸せを呼び寄せるのだと思います。
私も、先祖から受け継がれてきた「運勢」を大切にし、
皆も自分も幸せになれるような、「与える人」になっていきたいと、そう思っています。
光