暦よもやま話①「太陰太陽暦について」
家庭連合では、2010年から「天暦」が使用されてきました。この天暦を理解するためには、韓国の陰暦(太陰太陽暦)に関する知識が必要とされます。
真の父母様は、天暦について次のように語られています。
「『新旧暦を統一する時代』です。陽暦は必要ないのです。陰暦は、千歳暦が千年の歴史になっていて、万年の歴史になっていることを知っていますか? (「知っています」)。陰暦は伸びたり縮んだりできます。陽暦はできません。ですから、12か月が13か月になることもあるのです」(2010年1月1日、第43回「真の神の日」記念式典のみ言、韓国・清平)
「私は去る2月14日に『天暦』の出発を満天下に宣布しました。既存の陽暦と陰暦は、今カインとアベルの立場に立ち、新たに摂理を記録して明示する天暦を補助する役割をするようになるでしょう」(2010年2月19日、韓国・清平)
日本では、古来、長きにわたって月の満ち欠けに基づいた暦(太陰太陽暦)が使われてきたのですが、明治6年(1873年)、明治政府により太陽暦への改暦が行われました。それ以降、太陰太陽暦を旧暦と呼ぶようになったのです。現在の義務教育のカリキュラムの中では扱われることはなく、公的機関でも使用されなくなりました。そのため、太陰太陽暦についてよく分からない方も多いと思います。そこで、暦についての豆知識を何回かこのコーナーに掲載していきます。
3種類ある太陰太陽暦
今年は癸卯(みずのとのう)年、真のお母様がみ言で「黒いうさぎ」と語られている年ですが、この癸卯年という名称は、東アジアで使用されている太陰太陽暦特有のもので、韓国と日本では共通の名称が使われています。癸卯年をなぜ黒いうさぎの年と呼ぶのかについては、2023年1月5日に更新された編集者ブログで、詳細が掲載されていますので、そちらを参照してください。
太陰太陽暦には、大きく分けると3種類あります。それは中華文明圏で生まれたものと、インダス文明圏で生まれたものと、メソポタミア文明圏で生まれたものです。韓国と日本には、このうち中華文明圏の暦が伝えられました。
ちなみにメソポタミア文明圏で生まれた暦は、バビロニア帝国でも用いられ、中東地域で広く使用されていました。イスラエル民族も使用しており、当然、イエス様も太陰太陽暦を使われたわけです。
しかしその後、ムハンマド(マホメット)から閏月(うるうづき、詳細は後述)を入れないよう指示されたため、アラブ諸国では現在、閏月のない「太陰暦」(ヒジュラ暦)を使用しています。この地域で唯一、かたくなに太陰太陽暦を使い続けているのは、イスラエル民族(ユダヤ教)のみでした。イエス様が使われた暦と私たちの暦、そこに不思議な縁を感じるのは、私だけでしょうか。
太陰太陽暦の特徴
太陰太陽暦は、月の観測を元に、月の満ち欠け、つまり新月から満月を経て、次の新月の前日までを1か月としています。暦の学者や研究者たちは、月の満ち欠けのことを「月齢」、新月を「朔」(ついたち、さく)、満月を「望」(ぼう)と呼んでいます。
また太陽の観測によって導き出された二十四節気を用い、季節を把握します。二十四節気は、「二至二分」(冬至、夏至、春分、秋分)をまず決め、あとは残りを割り当てます。
12か月は354日(平年)あり、1年が約365日(平年)である太陽暦との間に、約11日のズレが生じます。それは、暦と季節(二十四節気)との間にズレが生じることを意味しますが、そのズレを補正するために一定の法則で同じ月をもう1か月入れて運用します。追加された1か月が、先ほど触れた閏月です。
今年の天暦には、この閏月があります。ちなみに私がいつも参考にしている韓国の暦は、『暦書』(年1回発行、韓国天文研究院刊)です。同書によれば、2023年の次に閏月が入る年は2025年、乙巳(きのとのみ)年、青いヘビの年です。
月の観測結果は、観測者が地球上のどの位置にいるかにより、微妙に変わることがあります。北京で観測した結果に基づいて作成された暦に満足せず、李朝時代には世宗大王が独自の観測結果により、「七星算内篇」(しちせいざんないへん)と「七星算外篇」という暦を作成させています。日本では渋川春海が貞享暦を造りました。また、李朝から日本に派遣された「朝鮮通信使」では、同行した学者が日本の学者と互いの暦を突き合わせて、情報交換をしていたことが知られています。
このように私たちの先人は、太陰太陽暦を大切に守り伝えてきました。真の父母様はこの太陰太陽暦をもとに、天一国時代にふさわしい「天暦」を定めてくださいましたので、暦をよく学び、理解していく必要があるのではないかと思います。(F)