4月15日、真の父母様ご聖婚54周年記念午餐会が韓国・清平の天正宮博物館で開催され、日本からは120人の功労者が参加しました。
翌日、参加者は、真のお父様がソウル聖母病院に入院される前日(2012年8月2日)に訪ねられた五山高等学校を訪問しました。
定州に住んでいらっしゃった真のお父様が通っておられた学校なのに、なぜソウルにあるのかなと思い、簡単に調べてみました。
《五山学校の経緯》
・1907年12月、独立運動家の李昇薫先生が平安北道定州郡葛山面五山に
中等教育機関「五山学校」として設立。植民地期における民族主義的な
教育の拠点となる。
・1945年8月、日本からの解放後、共産主義勢力から逃れて南に移る。
・1953年4月、釜山市東大新洞に「五山高等学校」として再建。
・同年、ソウル市元曉路に仮校舎を建て移転。
・1956年4月、ソウル特別市龍山区普光洞に移転し、現在に至る。
・1983年2月、男女共学となる。
真のお父様の大叔父である文潤國先生も、民族意識の高揚と人材育成を目的とする五山学校の設立に志を同じくしていました。そして、真のお父様は1934年に五山学校の三年生に編入され、学業に励まれました。
「14歳になった1934年、編入試験を受けて私立五山普通学校の3学年に入りました。入った時は人より遅れていましたが、勉強ができて5学年に飛び級しました。五山学校は家から20里(約8キロメートル)も離れた所にあります。しかし、私は一日も休まず、毎日決まった時間に歩いて行きました。峠を越えると他の子供たちが待っていて、私が先に立ってサッサッサッと早足で歩いて行くと、彼らは付いてくるのが大変そうでした。平安道の虎が出てくる恐ろしい山道を、そうやって歩いて通いました」(文鮮明自叙伝『平和を愛する世界人として』55ページ)
天一国経典『真の父母經』日本語版の出版準備も進められています。真の父母様の生涯路程を正しく知り、そこに投入された心情世界に通じていくことが必要なのだと改めて感じます。
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