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2022年08月25日

9月号は、ここに注目!

 1992年、真のお父様はアラスカのコディアク島で釣り修練会を主宰して、精誠を尽くされました。

 9月号では、真のお父様の聖和10周年を記念して、その修練会に参加した米国宣教師による証し(前編)を掲載しています。以下は、その抜粋です。

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始めに

 真のお父様が投入された釣りの摂理は、娯楽や趣味といったレベルのものではありません。〝ただの魚釣りでしょう〟などと軽く考えたら大変なことになります。お父様にとって釣りは、霊力、精神力、胆力を訓練する場でした。

神様の息吹を感じながら


▲ノース・ガーデン(2001年、米国・アラスカ、コディアク)

 真のお父様は、コディアク島で公館(ノース・ガーデン)を管理し、釣りの摂理に責任を持つ兄弟を連れて、修練生とは別の場所で釣りをされます。修練生は「海釣り」と「川釣り」のグループに分かれ、それぞれの場所に配置されます。

 川釣りグループは、30分から1時間くらい車(バン)に乗り、鮭の魚影が濃い流れのそばの河原に降ろされます。流れの中央では鮭が群れで泳ぎ、勢いよく跳ねているのが見えます。それで、〝つかみ獲りもできそうだ。あっという間に数十匹は釣れるだろう〟と思いますが、そう甘くはありません。群れを目掛けて何度仕掛けを投げ込んでも一向にかからないのです。無数の魚が見えるのに、なんと恨めしいことか! 〝敵もさるもの〟という感じです。 

 一日やって釣果ゼロの場合もあり、私にはそんな日のほうが多かったように思います。 

 海釣りも苦労は同じです。運よく魚群に巡り合い、労せずして釣れることもありますが、いつもではありません。魚群探知機で探しても、うまくいくことばかりではありません。こうなると、釣りの「行」の始まりです。根気よく仕掛けを投げ続けるしかありません。 

 夜になれば帰りますが、班で時間帯が違います。目標を達成したか否かによるのです。 

 真のお父様が、私たちより遅く帰ってこられることも珍しくありません。お父様にお供する日本の兄弟が、「お父様でも、釣れないことはいくらでもあります。釣れようが釣れまいが、お父様はただ黙々と、釣りざおを海に振り出すという単純作業を、一日中、繰り返しておられるのです」と教えてくれました。 

▲キングサーモンを釣られた真の父母様(1992年7月16日、アラスカ・コディアク)

 真のお父様はご自身のことを、「太公望が、釣りをしながら時の人と巡り会うのを待っていたように、釣りをしながら天下の情勢を見ているのだ」と証しされたことがあります。 

 私も真のお父様と同じように、天下を抱きかかえるような気迫を持ち、祈りながら釣りをしたいと願いましたが、その境地に至るには程遠いと、日々思い知らされました。外的には根気よく投げ続けても、浅い悟りと霊的集中度の希薄さゆえに、密度の薄い釣りに終わったのです。足りないわが身が悲しくなりました。 

 それでも、大自然と向き合うアラスカの釣りは格別です。目に映る海、島々、山、岩、あちこちに浮かぶ巨大な海藻、そして各種の魚から神様の息吹を感じます。真のお父様がアラスカを好まれる理由を実感できるのです。 

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 全文は、9月号の7682ページをごらんください!

 

*編集部から*

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