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2022年02月21日

3月号は、ここに注目!

 

今月号の読みどころは、エッセー「ジンバブエの芝桜 〜南部アフリカで歩む日本人妻の手記〜」(第9回)です。

筆者の村上さんは、ジンバブエ人のジョセフさんと3万双の祝福を受け、1995年にジンバブエで家庭を出発。現在は首都ハラレで暮らしています。

2男3女の母として、天を慕いながら奮闘する村上さん。今回は、現地のライフライン事情について、つづっています。

私たちにとっての「当たり前」は、決して当たり前ではないことを痛感させられる内容です。

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ジンバブエは、11〜4月が雨季です。この期間に十分な雨が降らないと、水不足や食糧難が懸念されるため、誰もが空を見上げて祈る気持ちになります。それが、この国の信仰の土壌になっているのかもしれません。

雨が降ると、井戸のない家ではバケツなどに雨水をためます。国力が下がっていて、大抵、断水しているからです。わが家はかなり前に、敷地内に井戸を掘りました。今でこそ電動ポンプで水をくみ上げていますが、以前は縄をつけた小さいバケツを井戸に下ろして、引っ張り上げていました。

 

△井戸で水をくむ、村上さんの息子と甥。この井戸は村上さんの義母宅にあるもので、自宅の井戸に比べると浅く、水がくみやすいという 

 

うちの井戸は深いので大変です。腕が疲れる前に心臓に負担がかかり、私は2杯が限界でした。夫でも、家族全員分の生活用水を毎日くむのは重労働です。それで、中高生以上の子供たちには、夫が「せめて自分の洗濯と風呂用の水は自分でくめ」と言うのですが、渋る子供たちをなだめすかして動かすのは、毎回骨が折れました。

そのように苦労してくんだ水を節約して使うので、食器洗いや洗濯などの家事には、時間と労力がかかります。特に洗濯(手洗い)は、洗いやすすぎのたび、水が減らないように、バケツの中で水を絞って行うのです。水の使用量を減らすため、お風呂や洗濯の回数も減らします。

ちなみに私は、たらいで入浴します。背が低く、たらいの中に座れるので、ありがたいです。夫や子供たちは、立ったまま、バケツのお湯で体を洗っています。

お湯は、調理用ガスコンロで沸かします。この国にも、お風呂のお湯を自動的に沸かす電気温水器がありますが、電気代が恐ろしく高いので、普通の家では使いません。世間では、水で済ませたり、川で入浴したりする人も多く、ガス代も安くないので、基本、うちでの入浴のお湯は、鍋一つ分(約5リットル)です。

また、以前(2015年頃まで)はガスコンロがなく、主に電気コンロを使っていました。そのため、停電すると、外で火をおこして料理しなければなりませんでした。それで、一時期、終日停電が続いて音を上げた私は、日本にいる弟に頼んで、当時高価だったガスコンロを買ってもらったのです。できる、できないではなく、どうにも無理でした。

15年以上前、10歳くらいの男の子がバケツを頭に載せて水を運ぶのを見ました。歩くたびに水が肩にこぼれて、〝家に着くまでにどれほどの水が残るのか、その水でどれだけのことができるのだろうか……〟と、その子の少し後ろを歩きながら思いました。田舎ではなく、首都ハラレでのことです。今でも、黙々と歩くその子の後ろ姿が心に浮かびます。現在のこの国の状況は、当時よりも悪いのです。

こんなにも、ただ生きることに手間を取られて1日が過ぎていくとしたら、それは何のための生でしょうか。厳しい生活環境が、人々の、特に女性の寿命を縮めているのではないかと感じます。人は人として生まれた以上、最低限であっても人間らしい暮らしをするはずなのに……と思い、サタンにやられて呻吟している彼らの姿を見るのがやりきれないのです。 

真のお父様の自叙伝『平和を愛する世界人として』に、「今は韓民族が世界に向かって泣いてあげなければならない時です。……もっと真摯に、切実に世界のために涙を流さなければなりません」(光言社版、290ページ)とあります。私も母の国の民として、共に泣いて、彼らのために祈ってあげたいと思うのです。

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エッセー「ジンバブエの芝桜」は、『世界家庭』2021年7月号から連載しています。この記事で関心を持たれた方は、ぜひ本誌のバックナンバーで第1回からごらんください!

 

*編集部から*

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