光言社 編集者ブログ

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2022年01月20日

しゃがんでみて気づいたこと

先日、花屋さんの前を通りかかったとき、ある花が目に入りました。  

気になって近づいてみると、横には「スイートピー」という文字。

今まで、その名前は耳にすることが多かったのですが、どういう花なのかはよく知りませんでした。

それで、近くに寄って見てみたのです。

すると、とても繊細で可憐なので、〝家に飾りたいなぁ〟と思いました。

スイートピーはたくさんの色の種類があり、なかなか選べずにいると、店員さんが声を掛けてくれました。

そこでオススメの組み合わせを聞き、ピンク、薄ピンク、紫の3色を買うことに。

私は、わくわくしながら帰途に就きました。

  

ところが、いざ自宅の花瓶に飾ってみると、弱々しく下を向いているスイートピーがあるのを発見したのです。

△特にいちばん右下が弱々しく見えた

ガーン。

私はいつも、上を向いて咲く花に元気と癒やしをもらっていたのですが、そのスイートピーを見ると悲しい気持ちになってしまいました。

思わずそのスイートピーに向かって、「まだまだいける、大丈夫だよ! 元気出していこう!」と励ましてみたものの、そんなことで上を向くはずもありません。

仕方ないよなぁ、と思いながら、私は会社のバッグの中身を整理しようと床にしゃがみこみました。

そして何げなくスイートピーのほうを見て、ハッとしたのです。

「ここから見ると、きれいに咲いてる!」

真正面から見たときには元気がなく見えたスイートピーが、下から見上げると、ちょうどこちらのほうを向いて、きれいに咲いていることに気がついたのです。

△下から見るときれいに見える(手前右)

私は改めて、自分の目線でしか、人や物を見ていなかったのだと思いました。

たとえば私の目線から見れば弱々しいスイートピーも、小さい子の目線から見れば、きれいなスイートピーなのです。

そして、日々の生活を振り返ってみたとき、自分の判断で「この人は、いつもこうだ」「あれはおかしい、もっとこうするべきじゃないのか」と決めつけていたことが、恥ずかしくなりました。

神様は、誰であっても、その人がいちばん美しく輝いて見える角度をご存じであり、そこから見詰めてくださる方なのだと思います。

それは恐らく、その角度から見る姿こそが、その人の〝本然の姿〟だからです。

自分にとって理解し難いことが起こったとき、自分の中の当たり前や正しさを押しつけて相手を変えようとするのではなく、神様の目線から見詰めてみる。

簡単なことではありませんが、このスイートピーを通して教えてくださった神様のために、少しずつでも頑張っていきたいと思いました。

 

 

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