私の家庭は聖和者家庭です。妻が聖和しています。
聖和者家庭にとって地上と霊界との壁を超えられるか否かは切実な課題です。
信仰を持つ者とはいえ、霊界(死後の世界)に関する統一原理の見解は、時に聖和者家庭にある種のプレッシャーを与えることもあります。
筆者もまた、周囲から聖和者との交流(交信)があるのかと聞かれるたびに、「イエス」とも、「ノー」とも、はっきりと答えられない、何とも複雑でもどかしい気持ちに襲われることがあります。これは信仰故に生じるコンプレックスの一つといえるかもしれません。
さて、そんな私ですが、今年の12月に妻の21回目の命日(聖和日)を迎えて、21年の聖和者家庭としての経験から得た、「霊界の人々と交流(交信)する方法」についての一考察を記してみたいと思います。
霊界の人々と交流(交信)する方法は、大きく分けて四つの方法があると考えられます。「直接的交流」「間接的交流」「遺作を通じた交流」「血統を通じた交流」の4種類です。
- 直接的交流
第一は、当事者の霊人と地上人が直接的に交流するという方法です。
霊人の実体が見える、霊人の声が聞こえる、といった場合です。
何となくその存在の気配を感じる、というのもこのケースに含まれます。ふと、その霊人はこう言いたいのではないか、こう願っているのではないか、と感じるというのも、直接的交流の一つであるといえます。物理的な現象を通して何らかの、感覚的でシンボリックなメッセージを感じ取る場合も直接的な交流といえるでしょう。
しかし実際のところ、覚醒した状態(目覚めている状態)での交流はかなりまれで、ほとんどの場合、直接的交流は一時的、短期的なものであって、現在のところ一般的には少数の人に限られた交流の方法のように思われます。
ただし、夢の中で出会う、交流するといったことは多くの人が経験しているようです。
多くの読者のかたもご存じのように、直接的交流の持ち主の典型例は、スウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日~ 1772年3月29日/スウェーデン王国出身の科学者・神学者・神秘主義思想家)を挙げることができるでしょう。
- 間接的交流
第二は、第三者(霊媒)を通じて霊人と間接的に交流するという方法です。
「霊界の誰々さんがこう言っていますよ」といった感じで、霊媒の役割を果たす第三者を通してメッセージを受け取る場合です(霊媒にとっては直接的交流ですね)。一つ一つの事例の真偽のほどはさておき、一般的に最も多く知られている霊界との交信のスタイルといえます。
光言社の映像作品(U-ONE TV番組、DVD作品)や書籍にもなっている北谷真雄氏のケースは間接的交流の典型例といえます。北谷氏は直接的交流の体験の持ち主でもありますが、多くの場合はお母さんを霊媒として霊人や天使と交流する間接的交流で得た体験を証言しています。
- 自叙伝などの遺作を通じた交流
第三は、聖和者の遺作(映像や文章)を通して交流を試みる方法です。これは、いわゆる霊的なタイプのかたでなくとも、人格的な交流を再生(再現)できる方法です。
私の場合は、聖和した妻が生前いくつかのまとまった文章を残してくれていましたので、それを読み返すたびに妻への記憶や想い(思考)を呼び起こしたり、新たな気付きや発見をしたりすることがあります。
オーストリアやドイツで活動した神秘思想家、哲学者、教育者のルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日~1925年3月30日)は、著作の中で「死者のための読書法」について以下のように記しています。
「人間が地上で本を読むと、霊魂存在たちもその本を読みはじめます。つまり、本に書かれていることが、いきいきとした人間の思考内容になると、霊魂存在たちは人間の思考内容を読むことができるのです」(『精神科学から見た死後の生』より)
このことは、例えば、真の父母様のみ言を訓読し、私たちの思考が原理的になれば、私たちと相対基準を結んで授受作用しようとする霊人もその思考を共有し、み言による恩恵を受けることができるということを示唆しています。
- 血統を通じた交流
第四は、血統を通じて交流する方法です。夫や妻が聖和している場合、お子さんがいればその子を通して聖和した配偶者と交流することができます。
私の家庭の場合、娘たちは幼少の時期に母親を亡くしています。末娘は1歳の頃の出来事ですから、本人はほとんど母親に関する記憶はないようです。ところが、その娘たちが成長して大人になって見せる所作や言動に、聖和した妻の生前の姿を見いだすことがたびたびあります。親子ですから娘たちが身体的に母親に似てくることは容易に理解することはできますが、話し方や物事に対する考え方、感じ方までもがそっくりだと感じることがあるのです。それは、霊界からの直接的な働き掛けによるものかもしれませんし、地上人たちが常に霊界の人々の影響を受けながら生きていることの証左なのかもしれません。
血統や使命を因子とする霊人と地上人の交流がなされているというのは、『原理講論』の復活論が説明しているとおりでもあります。
「霊界を感じながら生活しなさい」「霊界と共に生きなさい」というのが、真の父母様の教えです。忙しい地上生活で、①②④による交流を試みることは容易ではないかもしれませんが、③による霊人との交流は、案外、誰にでもできる方法ではないかと私は考えています。
真の父母様は、私たちに自叙伝を書くようにと指導されました。それぞれの「自叙伝」という存在は、霊界と地上をつなぐトンネルのような役割を果たす意味があるのかもしれません。
最後に、最近あった身近な出来事を紹介します。
12月15日にBlessed Lifeで配信された創立60周年記念企画としての「日本統一運動史 ~人物伝①」で久保木修己初代会長(1998年12月13日聖和)の自叙伝の一部が掲載されていました。その文章を読みながら、久保木会長と再会し、しばし久保木会長との心の交流の時間を過ごすことができたような気がしています。