光言社 編集者ブログ

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2019年09月19日

次女の誕生日に改めて思うこと

 先日、次女(小4)の誕生日をお祝いするため、バイキングに行ってきました。

 数日前にテレビのバラエティー番組で「バイキングで〝元を取る〟方法」を見て、その気になっていた妻から提案され、お昼は小さいおにぎりを2個だけ食べて、家族で夜に備えました。

 しかし、子供たちはお店でテーブルに着くやいなや、ドリンクコーナーに向かいました。そして、「おなかがすぐにいっぱいになるから、できるだけ食べないほうがいい」と言われるフライドポテトやピザ、唐揚げなどをほおばります。さらに、すぐにソフトクリームへ。気の向くままに、うれしそうに食べる姿に思わず笑ってしまいました。

 次女は子供たちの中でいちばん笑い、明るい性格で、〝食いしん坊〟です。しかし、このように元気に過ごすのがイメージできないくらい、乳幼児期は病弱でした。

 次女は、妻(韓国人)の実家の近くの病院で生まれ、直後に肺炎で入院。入退院を繰り返しました。

 6か月になった頃、病状が落ち着いてきたので日本に来ましたが、その日に高熱が出て、肺炎で緊急入院。病院で1か月過ごしました。お正月に三重の実家に帰省した時も入院しました。

 とにかく風邪を引きやすく、すぐに高熱が出るのです。顔を真っ赤にして、泣きながら咳き込む姿を見ると、本当に胸が痛み、いつまで続くのだろうかと不安になりました。

 しばらくして、次女は小児ぜんそくと診断されました。定期的に通院し、粉薬と吸入ステロイド薬とのおつきあいが始まったのです。毎日、毎日、嫌がる次女に薬を飲ませました。

 ところで、長男(中2)と長女(小6)は、清平の清心国際病院(現・HJマグノリア国際病院)で生まれ、大母様から名前も頂きました。2人がおなかにいるとき、妻は40修に参加し、元気に生まれてくるように精誠を尽くしました。

 しかし次女のときは、実家のお母さんに上の2人を預けるのも負担が大きく、40修に参加することができなかったのです。私たち夫婦は、「40修に参加していたら、こんなことにはならなかったのではないか」と何度も思いました。

 しかし、いくら嘆いても過去は戻ってきません。とにかく前向きに捉えるように努め、「孝情奉献書」を書く機会があれば、次女が健康になるようにつづりました。また、妻が慣れない日本の職場でパート勤めをして、次女が水泳教室に通う費用をつくることで、引っ越すまでの3年間ほど通うことができました。

 そして次女は、成長するにつれて風邪を引くことが少なくなり、今年6月、担当医から「もう大丈夫でしょう」とお墨付きをもらうことができたのです。

 その日は、近所のスーパーで1リットル入りのアイスクリームとフルーツの缶詰、コーンフレークを買ってきて、「病院卒業祝い」として家族で手作りパフェパーティーをしました。

 私は、夫婦が祈り、願い続けたことを神様が覚えていてくださったことに感謝しました。

 次女が入退院を繰り返していた頃、「この子が元気でいてくれさえすれば、何も要らない」と思っていました。にもかかわらず、今では、次女が生意気な態度を取り、言うことを聞かないと腹を立て、あれこれと小言を並べてしまいます。

 この誕生日を機に、「〝子供たちが元気にいてくれるだけで感謝〟と思えるようになろう」と改めて思わされました。

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