光言社 編集者ブログ

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2019年05月30日

息子の笑顔で考えた、神様と私の関係

 先日、一日お休みを頂いて、2歳の息子(祝福三世)の保育参観に行ってきました。0歳で入園してからほぼ毎回見にいっていますが、そのたびに成長しているのが分かります。

 0歳児のときは、それこそ何も分からずに、先生に鈴を持たされて、音楽に合わせて(先生が)腕を動かすという状態。名前を呼ばれてもぼーっとして、これまた先生が手を挙げさせてくれ、裏声で「はーい」と代返をしてくれました。

 1歳児になると、名前を呼ばれたら恥ずかしそうに返事ができるようになりました。ただ、音楽に合わせて踊る時間には、少し踊ると壁際に座って「みんな、なんで踊ってんだ?」とでも言いたそうな顔で眺めていました。また、〝保育参観〟というものが分かっていないので、私を見つけて「どうして、いるの?」という顔をしていました。

 2歳児クラスの今年は、昨年とは180度違う姿でした。1年前は私を見つけても「?」という表情だったのに、今年は教室に入ってきたお母さんたちの中から私を見つけて、とてもうれしそうに「ママ来たー来たー」と叫んでいました。

 また、名前を呼ばれるとクラスでいちばん大きな声で「はーい!」と答え、音楽が鳴ると誰よりもノリノリで歌って踊る姿を見せてくれました。色の名前もたくさん覚えて、制作の時間には「かたつむり、黄色で塗るよ」と言ってグリグリ塗っていました。

 そして、一つの活動が終わるたびに「踊れたの!」「歌ったの!」「きれいに塗れたよ!」と笑顔で教えにきてくれました。

 

 

 

 保育参観での息子を見て、子供は1年でこんなに成長するんだな、私は1年でどれだけ成長したかな?と考えさせられました。そして、「あんなにうれしそうな笑顔を、私は親である神様に向けているかな?」と自問すると、答えに詰まりました。

 学生時代に、「いいことがあったときこそ神様に感謝し、一緒に喜びましょう」と教えられ、そう努めていましたが、最近はそうしていなかったことに気づきました。つらいときや問題があるときは「神様、大変なんです」と思ってしまいますが、うれしいときは、神様そっちのけで喜んでいたような気がします。

 うれしいときこそ、自分や周りの人と喜んで終わるのではなく、まずは神様に「こんなことがありました!」と話しかけられるような生活をしようと思わされた保育参観でした。

 

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