『祝福家庭』85号(2017年夏季号)の校正作業をしながら、ハッとさせられた内容があります。
それは、李海玉先生の講話「私たちにとって信仰とは」の一節(38-39頁)です。
「私が皆さんを見るとき、本当に天の父母様の心情で見るようになります。二度と会えないかもしれないという心情から、そのような心が生じます。
夫がいつもいるとイライラしますが、もしも『あすはもう会えない』と思えば、きょう一つでもおいしいものを作ってあげたくなるでしょう。今まで『愛してる』と言えなかったので、一言でも話したいでしょう。もっと手を握りたいでしょう。
きょう、このように暮らせないのなら、100年暮らしたとしても、生きる意味がないというのです」
「あすはもう会えない」と思って家族のことを振り返ると、さまざまなシーンが思い浮かびました。子供たちの、けんかをしたり、親に口答えをしたりする姿、ベッドの上ですやすやと眠る姿。妻の、きつい小言を言う姿、食事作りや家事に頑張る姿……。
そして、家族に対する慕わしい思いがドーッとあふれてきて、皆に何かしてあげたい気持ちに駆られました。
これまで何度も、「この瞬間を、切実な心情で生きることの大切さ」について学んできたと思います。それが根づかずに、日々の生活に埋もれてしまう自分です。
家族とのありふれた出来事が、実は、「二度と戻らない宝物」なのだと改めて確認できました。後悔のないように、感謝の日々を送っていきたいです。