https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4294

共産主義の新しいカタチ 51

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

文化決定論 vs 遺伝決定論
マーガレット・ミード①

 ホルクハイマーとアドルノらが提唱した「フランクフルト学派」は、「マルクスとフロイトの融合」によって「マルクス主義の学際的システム」を標榜し「ユーロ・コミュニズム」の地平を切り拓き、そしてフロイトの「汎性欲論」をさらに過激化させたライヒが「性と文化の革命」として「性解放」を位置づけます。

 この「性解放」と、「文化的性差」(ジェンダー)の問題を、文化人類学という若い学問領域で展開したのが、米国の文化人類学者マーガレット・ミード(19011978)です。

▲マーガレット・ミード(ウィキペディアより)

 コロンビア大学大学院生だったミードは、南ポリネシアのサモア島でのフィールドワークに野心的に取り組み、その成果を『サモアの思春期』(Coming of Age in Samoa)に結実させ、賛否両論を巻き起こすも「文化人類学史上画期的な研究」との評価を受けました。

 本連載のラマルクの稿でも触れましたが、20世紀初頭の人類学・生物学界では「遺伝」(氏=生まれ)か「後天性」(育ち=環境)かでどちらが重要かという論争が行われ、主に前者がダーウィニズムから優生学への流れ、後者が文化人類学という対立軸がありました。後者の中心的論客が、ミードが師事したコロンビア大学のフランツ・ボアズ教授でした。

▲フランツ・ボアズ(ウィキペディアより)

 これまで述べたように、遺伝的要因を強調すれば、人種差別を正当化するような優生学が学問として興隆し、後天的要因を強調すれば、環境や文化が変われば人格や人間性が全く変わるという、ある種のイデオロギー的なものを持っていました。

 ボアズに連なる学派は、ミードのデビュー以前から自然淘汰としてのダーウィニズムを擁する遺伝決定論と熾烈な《氏-育ち論争》を繰り広げて、ミードはその「刺客」として登場したと言えます。

 どのような問題意識でミードは南洋サモアの若者たちの文化風習についてのフィールドワークに取り組んだのか。

 ミードの文化人類学に対する批判的研究を打ち立てたニュージーランドの文化人類学者で、足かけ40年もの歳月をかけてサモアの文化習俗の「真実」に取り組んだデレク・フリーマンによる『マーガレット・ミードとサモア』(邦訳=木村洋二、みすず書房)の記述で見てみましょう。

▲デレク・フリーマン(ウィキペディアより)

 「ボアズの命で思春期問題を調査するためにサモアに赴いた23歳のミードは、驚くべき結論を持ち帰った。欧米では、思春期は情緒的なストレスと葛藤の時期というのが常識である。もしもこの問題が成熟という生理的プロセスによって起こるものならば、どの人間社会をとっても同じような問題が見出されるはずだ、と彼女は論じる。

 ところが、彼女の報告によれば、サモア人の生活はのどかそのもので、思春期も一生のうちで一番気楽で楽しい時期なのであった。つまり、ミードによれば、サモアは人類学でいう「否定的事例」(negative instance)なのであり、このような反対例の存在は、アメリカおよび各国の思春期につきものの混乱が、生物学的原因ではなく、文化的原因によるものであることを明らかにしている。

 1920年代に頂点を迎える生物学的決定論と文化決定論の論争において、文化の主権を信じる者の目には、このミードの反対例は決定的な切り札と映った。

 1928年に出版されるやいなや『サモアの思春期』は大いに注目され、決定的と見えた調査結果はただちに掌中の玉といった趣きで人類学の教説に組み込まれた。以来、ミードの調査結果は繰り返し多くの教科書の中で紹介され、人類学関係のベストセラーとなった『サモアの思春期』の人気の高さも相まって、世界中の何百万の人々の考え方に影響を与えた」

倫理規範や通過儀礼を社会的抑圧と見る
 さて、ミードの『サモアの思春期』には、「サモアの青少年の間には、倫理規範や通過儀礼などの社会的制約(ミードにとっては「社会的抑圧」)などが存在せず、気楽かつ開放的で、おおらかでストレスもなく、絵に描いた楽園のような青春を謳歌している」、という趣旨が記されています。

 しかも、ミードの見たサモア人の「性倫理観」について、「サモア人たちは、罪というものを自覚していないだけでなく、性交を『すぐれた娯楽』と見なし、『すばらしい技巧』をあみ出しており、彼女が研究してきた中で最も『性に対して陽気で気楽な態度』を持つ人々であった。サモアの社会では、『性は異性愛も同性愛も許され、技巧上の付加などのあらゆる種類のバリエーションを持った遊戯である、という一般的考え方の下で、非常に円滑して機能している』と報告されている」(フリーマン『マーガレット・ミードとサモア』)というのです。

 ところが、フリーマンの同書では、ミードは重要な事実を歪曲して伝えている、と極めて重大な点を指摘しています。

 それはサモアにおける宗教(キリスト教)の占める役割の大きさです。すなわち、ミードは知ってか知らずしてか、キリスト教的倫理・道徳の観念がサモアに存在し、少なからぬ影響を与えているにもかかわらず、その事実を、極度に矮小化して述べているのです。

(続く)

「思想新聞」2024年2月1日号より

ウェブサイト掲載ページはコチラ

勝共情報
国際勝共連合 街頭演説「進む日本文化の破壊」202519日 竹ノ塚駅

LINE勝共ラシンバン】
友だち追加、お待ちしております。
友だち追加はこちら↓