2025.02.26 17:00
共産主義の新しいカタチ 52
現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)
文化決定論 vs 遺伝決定論
マーガレット・ミード➁
ミードの記述と全く乖離した社会的実態
デレク・フリーマンの著書から、ミードの驚くべき反宗教的態度について引用してみます。
1925年末、ミードがサモア調査を始めた頃までには、すでにマヌアの人々は1840年代に始まったキリスト教への改宗を終えており、幾世代にもわたってプロテスタント系ロンドン伝道協会の厳格な儀式を固守してきたことを誇りとしていた。
だが彼女は、『サモアの思春期』の本文において、「ソフトで素朴な賛美歌の歌声」と「簡素で優雅な夕べの祈り」への心をかき立てるほのめかし以上に、マヌア人の日常生活におけるキリスト教会の根本的意義に関して実質的に何も言及していない。それどころか、1920年代半ばのサモアにおけるキリスト教の位置は、付録の中のたった一段落に追いやられているのである。
また未開地サモアにおいては、宗教は「微々たる役割しか果たして」来なかったというのが彼女の見解であった。超自然的存在との接触はすべて「偶発的で些細なこととされ、また制度化されてもおらず」、社会が宗教に与えた特権は微々たるものでしかなかった。神々は、「その聖性を首長たちに委譲して、自分たちのことにかまけていると考えられており」、人々が規則におとなしく従い続ける限り、人間界を慈悲深く治めるものとされたのである。
さらに、ミードが1925年から26年にかけて研究したサモア人たちは、ほとんど百年の間キリスト教徒であったにも拘らず、彼女によれば、「自分たちの生活や文化をより快適かつ柔軟にするものとして」西洋文化を部分的に取り入れただけであり、そこには「原罪の教義はなかった」。
実際、宣教師はサモア人に、いかなる「罪の自覚」を植えつけることはできなかったし、特に「多くの現地人の牧師がキリスト教教義の特異な解釈を行なう」ので、「性行為と罪の意識が個人の中で分かちがたく結びつけられる西洋プロテスタンティズムの厳格さ」をサモアで確立することは不可能であった。
さらに、キリスト教会は教会員の資格として純潔を求めたのだが、ミードによれば、現実には誰一人として結婚するまで教会員になるものはいなかった。というのは、教会側は青少年に断念を強制して、若い未婚の教会員を集める努力をほとんどしなかったからである。
「結婚前の違反行為は、教会当局によってしぶしぶ認められ」、若者たちは宗教的な葛藤によるストレスから解放されていたのである。彼女によれば、いかなる強い宗教的関心も、サモア社会の微妙なバランスを乱さないために、社会の外へと追いやられていたのである。
そういうわけでマヌアの人々は、プロテスタントのキリスト教を受け入れたにも拘らず、それをサモア社会の「入念に作られ大事にされている」伝統様式の中へ、「単なる楽しみと満足を与える社会的な形式として」取り入れることができるように、「厳格な教義のいくつかを穏やかなものに作り変えた」のであった。
以上は、ミードの記述に沿ってフリーマンがまとめたサモアの宗教と性道徳になりますが、ミードの記述は実情と全くかけ離れ、キリスト教道徳が根づき、婚前交渉は容認されない厳格な社会であることを検証しているのです。
しかしながら、ミードがサモアのキリスト教的な宗教観念を排除したところで、ではサモアの土着の宗教から、ミードの記したサモアの習俗、サモアの若者の行動様式が得られるのかと言えば、それは全く事実に反する、とフリーマンは断言しています。
すなわち、サモア社会では思春期・結婚適齢期の若い女性の「処女性と純潔」が、むしろ西欧キリスト教社会以上に強調され徹底しているというわけです。
このように見ると、「非文明社会=未開社会≒原始共産社会」と単純に見たエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(及びルイス・ヘンリー・モーガンの『古代社会』)に見られるような、「原始乱婚社会」の雛型というものを、ミードはサモア文化に見た、というよりは完全に決めつけていたと言えるでしょう。
もっとも、18世紀フランス初の世界周航者ブーゲンヴィルによる南洋タヒチに関する記述では、エンゲルスやモーガンの記述を彷彿とさせ、「文明社会が失った楽園」のようなノスタルジー(郷愁)に浮かれたように思われます。フリーマンはブーゲンヴィルの記述は誤りとはしていませんが、明らかに同じような「幻想」を抱いてミードがサモアを訪れたことは間違いない、としています。
人類学研究の王道とかけ離れたミード
ところが実際のサモア社会では、性が極めて厳格に、そして神聖なものとして扱われ、それを乱す人間は容赦ない社会的制裁を受ける、という事実がすっぽりと抜け落ちているのです。
しかしながら、フリーマンはミードが恣意的あるいは確信的に、サモアの若者の聞き取り調査(フィールドワーク)を行っていたのではない、とかばう姿勢すら見せています。
とはいうものの、フリーマンは、ミードがもしカール・ポパーの唱えるような「科学の反証可能性」について認識し、それを自戒していたならば、そしてたかだか十週間ほど学んだに過ぎないサモアの現地語でフィールドワークを強行しようとすることがなかったら、このような偏見と誤りに満ちた『サモアの思春期』という「事故」は起こらなかった、と分析しています。
このことは逆に「(人文)科学としての文化人類学」そのものに対する疑念を招かざるを得ないということになります。だからこそ、フリーマンはカール・ポパーの科学哲学の方法を援用しているのです。
フリーマンは、レオ・フォーチュンの『ドブ族の魔術師』に寄せたブロニスラフ・マリノフスキーの序文で、マリノフスキーは、フォーチュンが「現地人と生活を共にすることを決断し」、宣教師館も政府官舎も「断固として避けた」ことに、大いに満足を表明しているとし、「価値観や行動を理解しようとしている当の相手と一緒に暮らすことから、民族学者がどんなに大きな恩恵を得るかは、疑問の余地もない」と「研究の王道」を述べ、ミードのフィールドワークの手法が、こうした「王道」とはあまりにもかけ離れているかを強調するのです。
★「思想新聞」2024年2月1日号より★
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