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共産主義の新しいカタチ 50

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

霊的世界探る思想vs文化共産主義
唯物論と対峙した科学と哲学➁

カントとプラトンの「二つの世界」
 カントは物理的に目に見え、人間の「五感」で認識できる世界を「現象界」、われわれの五感では認識できない世界を「物自体の世界」すなわち「叡智界」と呼びこれを区別しました。これはある意味で「二元論」的世界観と言えます。

▲イマヌエル・カント(ウィキペディアより)

 一方、古代ギリシアの哲人プラトンも、われわれの住んでいる世界と、純粋な概念(イデア)の存在しているところの世界である「イデア界」とを区別しました。

 仏教的な此岸と彼岸という考え方もいうなれば二元論的ですが、スウェーデンボルグの説く「現世」と「霊界」は、仏教的な「輪廻転生」とはいささか様子が異なります。スウェーデンボルグと同じく「霊媒」でありかつ「神智学」と並ぶ「人智学」(アントロポロゾフィー)を唱えたルドルフ・シュタイナーは、キリスト教的な世界観やメシアとしてのイエスの価値を認めつつ輪廻転生をも説き、それを「霊的進化」システムに集大成し、それは少なからぬ新興宗教にも影響を与えました。

 プラトンは『国家』において、イデア界と物質世界を、「洞窟の比喩」を用いて説明しています。
 プラトンによれば、洞窟で深い奥底を見るのに、そのものを直接見る場所へいけないとすると、明かりを照らした時に洞窟に映る影しか見えないわけです。

 このように、われわれが見たり聞いたり触ったりする実在の世界(物質界、現象界)に存在する「実在」「存在者」というものは、実はこの洞窟に映る影のようなものにすぎない、というわけです。イデア界にある存在するものが真理だというなら、私たちの現実世界にある実在というものは、「不完全な存在」だということになります。

 プラトンのイデア論は、「数理性」を万物のアルケー(根源)としたピュタゴラスの「オルペウス教」の影響を多分に受けているためか、イデアについて説明する場合に「正三角形」を具体例として引き合いに出します。

 すなわち、純粋な三角形のイデア(概念)というものは理解でき、頭には想起できるものの、実際に地面や黒板、ノートに書いたりすると、たちまちそこに存在するのは、辺が直線ではなく微妙に曲がって歪んだり、その太さも一定ではなく、精確な三角形を描けない「不完全」なものでしかないというわけです。

 つまり「完全な三角形」のイデア(観念)とはイデア界にのみ存在するのだということになるわけです。

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ポパーやウィトゲンシュタインも
 近代ヨーロッパ哲学を決定づけたイマヌエル・カントは、プラトンのイデア論に近い考え方をしました。そのことによって「物自体」と呼んだところの「真の実在」とは、本当は私たちの手の届かないところにあるものだ、と考えました。

 物自体の世界にあるものが真の実在であって、私たちの知覚の及ぶ世界、すなわち現象世界では、その「影のようなもの」、つまり存在の一部分を表象しているにすぎない、というわけです。数学的真理に重きを置く思想家や科学者というのは、実はプラトン的な「イデア界」、すなわち超自然的世界の実在を認めています。そもそも「形而上学」とは自然科学的な認識を超えたという意味でアリストテレスが著書を著しましたが、その師プラトンこそが形而上学について言及していたのです。

 形而上学的命題は、カントにおいて理論理性では不可知論として明確に区別されました。ただし、実践理性の要請によって認識できるとした、神・魂の不死・自由の問題のうち、死後の世界、霊魂の不滅についてスウェーデンボルグと接触しようとするなど、尋常ならざる関心を持ちました。何度も述べますが、カントは形而上学的命題を、「外側から確保しようとした」のです。それをカントは「信仰のための場所を空けた」と表現しました。

 また逆に、プラトンのイデア論では共存していると見なされた数学的真理と倫理的な(形而上学的)命題について、これをはっきりと区別しようとしたのが、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』でした。こうした考え方を踏まえた上で、科学哲学者のカール・ポパーは「三つの世界論」を主張しました。これらはいわばプラトンのイデア論を敷衍(ふえん/おし広げること)するものと考えられます。

 キリスト教世界がプロティノスら新プラトン主義を受容したように、スウェーデンボルグのいう「霊界」を含む超自然的世界を認める世界観こそ、宗教的価値を認め「死ねば終わり」の唯物的世界観への有効な「反証」となりうるのです。

宗教的価値を敵視する文化共産主義
 哲学の世界では「形而上学の解体」こそが「現代哲学の常識」のように映っています。しかし、形而上学に引導を渡したはずの唯物論に対して、哲学者はもとより、少なからぬ科学者が否定的な見解をもつプラトン主義的態度を取っているのです。

 その一方、「利己的遺伝子」で有名なリチャード・ドーキンス博士(『神は妄想である』を著し「戦闘的唯物論」表明)のような確信的唯物論者は、人間精神に何らかの超自然的な「知的設計者」による作用の表れと見る「インテリジェント・デザイン(ID)理論」派に対し、執拗(しつよう)な攻撃を加えているのです。

「思想新聞」2024年1月15日号より

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