この山は、スロバキア人の心の故郷、タトラ山脈です。北のポーランドとの国境に連なっています。
陽暦12月号のエッセー「スロバキア日記13」では、この美しいタトラ山を後にして、日本宣教に生涯をささげたスロバキア人のフィグラ神父を紹介しました。
フィグラ神父は1936年、サレジオ修道会のイタリア本部から、宣教師として日本に派遣されます。以降、2001年に亡くなるまでの60年以上を日本で過ごしたのですが、日本でもスロバキアでも、あまり知られていないのは残念なことです。
同号の編集後記にも書いたのですが、フィグラ神父の写真入手は意外に困難でした。
まずインターネットで探しましたが、情報は乏しく、写真は見当たりませんでした。
そこで、筆者のクルーズリアク清子さんは、いつも利用している最寄りの図書館へ。そこに勤務する司書の女性と懇意で、事情を話して、フィグラ神父の著書『タトラ山の麓から富士山の下へ』を探してもらったのです。ところが、その図書館はもちろん、スロバキア国内のどの公立図書館にも見当たらないとのことでした。
清子さんは、2007年にフィグラ神父の宣教地である宮崎からスロバキアに来た婦人宣教師に望みを託して、依頼のメールを送りましたが、それも空振りに終わりました。
そうこうしているうちに、先の司書の女性が、ニトラ(首都ブラチスラバから東に70キロ)の教会付属の図書館に1冊あるのを見つけてくれたのです。彼女はわざわざその図書館から本を借りて、手ずから写真部分をスキャンしてくださいました。その写真データがメールで清子さんに送られてきたときには、「古い本であり、また本のとじを壊すこともできないので(十分に平らにすることができず)、少し影があります。これでいいでしょうか?」とのコメントが添えられていたそうです。
こうして、思わぬかたの手を煩わせながら、今回の記事はできあがりました。
神様の導きに感謝いたします。
本誌に掲載できなかったフィグラ神父の写真の一部を紹介します。
長崎の26聖人の碑の前で
信徒に洗礼を施すフィグラ神父
晶