光言社 編集者ブログ

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2025年03月13日

いつの日か、扉が開けば……

 2月、ある水曜日の夜のことです。 

 帰宅してくつろいでいると、「何で缶を捨てたの!」と、妻の怒り声が飛んできました。

 〝えっ、どういうこと?〟。

 私は事情がよく理解できませんでした。

 確かに、その日は資源ごみの日で、ごみ出しを日課にしている私は、朝、ごみ箱に入っていた缶や、まとめてあった紙類を捨てていました。

 〝何が問題なの? 感謝されこそすれ、非難される筋合いはないだろう!〟。

 私の中で何かスイッチが入りました。

 妻は、子供の学校で空き缶が必要なので、「きれいに洗って乾かし、ごみ箱に保管してあった」と言いました。

 「捨てないでね」とも言われていないし、袋に注意書きがあったのでもありません。にもかかわらず、まるで〝罪人〟扱いです。

 「どうするの!」と責められ、「はぁー」というため息は、耳にまとわりつきました。

 私は自意識過剰なのだと思います。人から非難されるのがとても苦手で、そんな状況を放っておくことができません。

 「もう、それ以上、何も言わないで! 缶を拾ってくるから」と言って、家を飛び出しました。

 〝どうするか……〟。

 私は、近所のスーパーでごみの分別回収をしていたのを思い出し、自転車を飛ばしました。

 店員さんに、「娘の学校で空き缶が必要なので頂けないでしょうか?」とお願いすると、快く分けてくれました。

 ただ、前日に捨てたばかりで数が足りません。私はもう一軒、ディスカウントストアを訪ねました。

 冷たい風を突っ切って疾走する自転車のかごで、缶はカラカラと音を立てました。 

 〝意地を張って、ばかだよなあ。何でこんなことになるんだよ〟

 そのとき、北谷真雄先生の証しの内容が頭をよぎりました。

 「私が悪いことをしたわけではないのに、なぜ、周りから否定されたり、つらい立場に立たされたりするのか。そのような疑問も、蕩減の観点から全て整理することができます」(『世界家庭』2025年2月号78ページ)

 〝こんなしょうもないことでも、何か蕩減できることがあるのなら、感謝かな……〟

 水道で缶をきれいに水洗いし、かじかむ手をこすりながら家に入ると、妻は、まだ怒っているのか、申し訳なくて気まずいのか、一言も発しませんでした。

 その夜更けに不思議な夢を見ました。私はなぜか、バスケットボールを大切にしています。

 そのボールが、雨で増水した川の濁流にどんどん流されていくのです。

 私は川に飛び込み、ボールを必死に追いかけましたが、つかみとることができませんでした。

 私は涙を流しながら、目覚めました。 

 

 次の日、仕事から帰ると、妻から、「自転車の鍵が折れ、鍵穴がふさがってバッテリーが取れない。充電できないから、何とかしてもらえる?」と言われました。

 マイナスドライバーや千枚通しで何とかしようとしたものの、うまくいかず、手にけがをしたということでした。

 外に出て自転車を見てみると、悪戦苦闘を物語る傷跡が残っています。

 〝これは厳しいか……〟。

 とりあえず、鍵穴に潤滑油をさし、マイナスドライバーを押し当てて回すと、かぎは、あっけなく開きました。

 まさかの展開に驚きつつ、バッテリーを取りはずし、折れた鍵も取り除くことができました。

 妻は、あっという間に問題が解決したので、「うそでしょ。天才じゃないの」と言って喜びました。

 〝罪人〟は〝救い主〟になりました。

 せっかくだからと、こぐとギーギー、カタカタと鳴るチェーンに潤滑油をさし、タイヤに空気を入れました。

 10年以上乗られた妻の愛車は、タイヤの溝が浅く、裂けたサドルには100均で買ったカバーがしてあります。

 雨の日に、かっぱを着てパートに出かける妻の姿が思い浮かびました。

 〝いつも家族のために頑張ってくれて、ありがとう〟

 妻はしばらく、教会から足が遠のいています。その胸には、さまざまな思いが詰まっているようです。

 もしかして、あの夢のボールは、妻の心を表していたのでしょうか? 

 折れた鍵は、妻の心の扉を開く鍵が何か考えるように訴えていたのでしょうか? 

 私は、神様の意図が知りたいです。

 

 心の扉。自分の扉も、相手の扉も、開くことは簡単ではありません。本当は、お互いに開け放って一つになりたいのに。

 きっと、目には見えない蕩減もあるのでしょう。

 全ての祝福家庭の夫婦、親子、兄弟姉妹の心の扉が開放されますように。そのために鍵が必要なら見つかりますように。

 そして、神様の愛のもとで、皆が一つになった喜びを味わえることを、ただ願っています。

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