クリスマスが近づくと、思い出すことがあります。
半世紀以上前、小学校1年のときに、父からもらったクリスマスカードです。
その頃、父は、肺結核で長期入院をしていました。当時の結核といえば、昔ほど「不治の病」ではなくなっていたものの、まだまだ油断できない病気でした。
父の実家は心配して、さまざまに援助はしてくれたものの、近所の人たちには病名をひた隠しにしていたそうですから、偏見は根強く残っていたことが伺えます。
父はこのとき、約2年間、入院しています。30代半ばの働き盛りでしたから、さぞ悔しくもどかしかったことと思います。
当時、私の一家は、のどかな田園地帯が広がる長崎県諫早市で暮らしていました。
母は毎週末、2つ上の姉と私を連れて、隣の大村市にある病院に見舞いに行きました。海沿いの線路を走る列車に乗って、無人駅のような小さく静かな駅に降り立ち、小高い丘の上に建つ病院に、3人で手をつないで歩いていったことを思い出します。
今思えば、母は相当、深刻な日々を送っていたはずなのですが、姉と私はいたって無邪気でした。この病院通いも、小旅行のような感覚だったのです。
父が入院して迎えた最初の12月のある日、父から姉と私それぞれに、クリスマスカードが送られてきました。わが家は曹洞宗で、キリスト教とは無縁でしたが、父も随分しゃれたことをしたものだと思います。
私は生まれて初めてもらったクリスマスカードを喜ぶだけで、年末年始の外泊許可が降りなかった父の、切なく寂しい気持ちなど、知るよしもありませんでした。
カードには、モミの木にしんしんと雪が降り積もっている夜の風景が描かれていました。モノトーンで雪明りと静寂が表現された、それはそれは美しい絵でした。
写真はイメージ
私は、銀粉が散らされたカードの表面をそっと触って、ざらざらする感触を味わいながら、厳かな気持ちになりました。欧米のキリスト教文化の神秘や、「聖夜」というものを初めて意識した瞬間だったように思います。
父はその後、2年間の治療を終えて退院し、職場に復帰しました。ヘビースモーカーだったのですが、すっぱりとやめ、健康を取り戻したかに見えましたが、7、8年後に結核が再発。そのときは医療も随分進んでいて、手術で治しました。
しかしさらに約10年後、今度はがんになり、56歳で亡くなりました。思えば、病気に悩まされ続けた父の人生でした。
父のがん闘病中に祝福を受けた私は、祝福相手を病床の父に紹介できたのが、せめてもの救いでした。
霊界で、曲がりなりにも祝福家庭を世に送り出し、祝福二世を孫に持てたことを誇りに思ってくれていたらいいなと思っています。
私も霊界を近く感じる年齢になって、イエス様という存在やキリスト教文化というものを幼心に触れさせてくれた父だったのだと、感謝の思いが深まるこの頃です。(晶)