2001年6月11日、米国の統一神学校(UTS)の学生だった私は、ニューヨーク州ベリータウン(当時)の校舎内にいました。外は激しい雷鳴が続き、何か胸騒ぎのする日でした。
夕刻、激しい稲妻と共に「ドカーン」という爆発音が轟きました。あまりの衝撃に身の危険を感じました。私は学友たちと外に飛び出しました。
ドアを開けると、眼前には粉々に打ち砕かれたコンクリートの十字架の破片の数々。それは、まさに落雷で砕けた十字架の無残な姿でした。
統一運動史でわれわれが知るように、それから間もなく、中東における宗教和合の運動が真の父母様によって果敢に推し進められていったのです。
2001年6月、十字架が落雷によって木っ端みじんに吹き飛んだ意味とは何だったのでしょうか…。
まさにそれは、新世紀を迎えた文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が平和の王、人類の真の父母として宗教の和合・調和にさらに拍車をかけていくインスピレーションとなる出来事だったのだと私は確信しています。
当時のタイラー・ヘンドリックスUTS学長が、そのことを示唆するリポートを残しているので紹介したいと思います。(筆者訳)
「(2001年)6月11日の夕方、ハドソン・バレー中部を雷雨が襲いました。私たちの神学校の建物が建造されてから70年間存在していた、その頂上にある高さ5フィート(約1メートル50センチ)の石の十字架に稲妻が落ちたのです。これにより十字架は根元から折れ、建物から切り離され、両側が吹き飛びました。片側は十字架の柱と共に後方から屋根の上に落ち、もう片側は前方へ落下。破片が建物の欄干や60フィート(約18メートル)下の地面に落下しました。負傷者はいませんでしたが、車1台が被害を受けました。
全人類に対するキリストの苦しみと救いの愛の象徴として、十字架は英雄的であり、壮大なものです。しかし、神の御子を十字架に付けた、神に対する人類の悪意の象徴として、十字架は神に苦痛と悲嘆を与えるものです。神の勝利の象徴であると同時に、人間の罪の象徴でもあるのです。
(建物を購入した)1974年、当時の文鮮明総裁は神学校の頂上に十字架を残すよう指示されました。そして2001年6月、この十字架が撤去されたことを聞き、文総裁は『今こそ全ての十字架が撤去される時だ』とおっしゃいました。
文総裁の指示はその後2003年、信仰の父祖アブラハムを共有するユダヤ教とキリスト教、イスラム教の和解の条件として、キリスト教の聖職者に十字架を下ろすよう呼びかける運動として形になりました。文総裁によるこの呼びかけは、中東平和イニシアチブ(MEPI)と聖地への平和巡礼の礎となりました」
(S)