2019年・秋に入社し、書籍編集課と祝福家庭課を経るなかで、2020年に祝福を授かった私は、2022年・春から産休・育休を取得し、2023年・春に職場復帰しました。
出産・育児を通して、たくさんの学びと気づきがありました。
今回は、その一部をお話しします。
まずは「母」の偉大さを知りました。
肉親の母の外的な偉大さはもちろん、真のお母様が全人類の子女を思う母としての心情の深さが、以前より少しだけ分かったような気がします。
そして、「苦労が誰かの希望に変わる」と感じる経験をしました。
多くの人が、出産・育児において、何かしらの壁にぶつかると思います。
私にとって、大きな壁は2つありました。
1つ目は、帝王切開による出産です。
長男は、あるときを境に、ずっと逆子の状態でした。
逆子が治らなければ、帝王切開になると聞いていたので、なんとか治らないかと、「逆子体操」をしたり、祈ったり、子供に話しかけたりしていました。
しかし、最後まで逆子が治らないばかりか、臨月(36週)には入ったものの、正期産(37週)には入っていない、予定日の1か月弱前に、陣痛が来てしましまいました。
逆子のまま産まれることはリスクがあるため、緊急帝王切開となりました。
そして、帝王切開というだけでなく、「早産(22週から36週までに生まれた場合)」ともなってしまったのです。
今でも思い出せば、悔しい思いがよみがえります。
そのようななか、出産の報告をしていたとき、尊敬するUさんから「自分も逆子で、少し早く生まれて帝王切開だったけど、無事に育っているから、きっと大丈夫でしょう」というようなことを言われました。
帝王切開で出産をして悔しかったときに、温かい言葉をかけてもらい、安心した記憶があります。
長男は早産のため、産まれたあと、ひとまず保育器に入るようになりました。そこで過ごした期間はたった数日でしたが、当たり前のように、抱っこや授乳ができず、とても長く感じました。そのときに「みんなが当たり前のようにしていることは、当たり前ではなかった」と知り、ほんの小さな出来事にも奇跡と感謝が詰まっていると感じました。
ハプニングはありましたが、無事に生まれ元気に育ってくれていることが、何よりもうれしく思います。
2つ目は、母乳育児についてです。
私と長男は、母乳育児がなかなか軌道に乗らず苦戦し、最初は母乳と粉ミルクの混合でしした。
2人目を妊娠しているYさんとビデオ通話で話していたとき、1人目のときに母乳育児が軌道に乗らず、ミルクに切り替えたお話を聞き、「助産院での母乳外来」を勧められました。
なんとか母乳で育てたい思いがあったため、出産した病院よりも母乳指導のレベルが高い助産院を訪問し、そののち無事に母乳のみで育てることができるようになりました。
Yさんの経験が、私の心の支えとなり、新しい行動の引き金ともなったのです。
Yさんは、母乳育児で苦労したからこそ、私の悩みに共感し、適切なアドバイスをしてくれたのだと感じます。
最初は体が小さく、哺乳力も弱かった長男ですが、次第に哺乳力が付き、体も大きくなり、子供の成長のすごさについても感じました。
この経験を通して、み言への理解力も深まりました。
「愛の本質とは、人に何かをしてもらおうとする思いを捨てて、人のために、全体のために先に与えて、為に生きることです。与えても、与えたという事実そのものを忘れてしまい、絶えず与えるのが愛です。それは、喜んで与える愛です。母親が子供を胸に抱いてお乳を与えるときに感じる喜びの心情がまさにそれです」(自叙伝『平和を愛する世界人として』文庫版P.235)
このみ言について、幾度耳(目)にしても、「母親が子供を胸に抱いてお乳を与えるときに感じる喜びの心情」という意味がよく分かりませんでした。(「どんなふうに喜びなのだろう?」と真剣に考えていました)
子女を産み育てることで、初めてその心情を理解することができたのです。
この2つの経験から、「自分が苦労を経験したからこそ、人の苦労を理解することができる」と感じたのです。
お二方の苦労は、私の心の支えになりました。(Uさんは、そのお母さんもですが…。)
私にとって、帝王切開も母乳育児に苦戦したことも、「苦労」ではありましたが、その苦労もいつか誰かの支えになるのではないかと感じます。
私の好きな聖歌「園の歌」に、「今の試練苦労も 後の栄えなり」という歌詞があります。
この歌詞を歌うたびに、先代のことを思い、いつも涙が滲むのですが、全ての人の苦労は、後の者の希望になると思います。
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礼