祝福を受けてから困っていること、信仰生活で分からないこと。聞きたいと思っていても、なかなか聞く機会がなくて悩んでいませんか?
そんな方に、朗報です。
9月号の家庭教育局のページでは、蝶野知徳・家庭教育部長と渡邊永二・祝福教育部長が、祝福や信仰生活に関する疑問、質問に答えています。
ここでは、その中から一つ、ご紹介します。
Q. 訓読をしていても内容に相対できなかったり、意味が分からなくて心を込めて読めなかったりします。どのように訓読生活を送ったらいいでしょうか?
A.
意味が「分かる」「分からない」ということは、実際にあると思います。ただ、その意識だけが強くなると、み言に対する姿勢が「思考」に偏ってしまいます。ますます「頭」だけで読もうとして、霊的な恩恵を感じにくい訓読になってしまいます。
どうしても内容に相対できない訓読が続く場合には、自分が今、相対できるみ言の本を探し、それを訓読に加えてみるのが良いと思います。
一方で「み言の意味が分かる」と思っていても、そこに真新しい言葉が出ていないなと思い、「もうこのみ言は知ってる話だ。神様は真の愛でしょ、それは知ってる。ために生きる愛なんでしょ。良心は神に優(まさ)る、それも知ってる」と、スラスラと流し読みしたとして、恩恵があるでしょうか。
知らないことだけを探している人は、み言が心に入りません。知れば「分かった」と思うからです。知ることが目的になっています。み言のごとくの人になることが目的なのにです。
同じみ言でも、「何度読んでも飽きない。新鮮だ。感動がある」というのは、正しく読めています。
父母から愛の言葉として私に語られていると感じながら、愛を受けるように読むといいのです。そうすれば神様とも情が近くなります。
あとは、訓読で感じたことがあったら、その刺激で、何でもいいので具体的に行動してみることです。
「ああ、神様は本当に完全投入して万物も創造されたのだな」と感じたら、ちょっと部屋を片付けてみようかとか、散歩をしながら、そのように創造された自然を愛してみるとかですね。
み言の刺激から、小さくてもいいので何か行動する。これを繰り返していくと、み言で読んだことを実践化する回路ができます。そうすると、み言の理解の奥行きも、ずっと広がります。
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他にも、ためになるQ&Aが満載です。ぜひ、『世界家庭』9月号(34〜43ページ)をチェックしてみてくださいね!
*編集部から*
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