寝ているときに見る夢を、自分で選べたらいいのにと、思うことはありませんか?
私は、しょっちゅう思っていました。ここ数年、頻繁に〝悪夢〟を見るようになったからです。
「よく見る悪夢ベスト3」は、こちら。
第3位:走っても走っても、目的地にたどり着けない夢。
これは、よくあると思いますが、夢の中で一生懸命、前に進もうとしても、全くスピードが出ません。さらに、悪天候などの大変な状況が重なることも……。
第2位:突然、学校で授業を受けなければならなくなる夢。
学生時代の友達から、いきなり、「きょうはプールの日だよ」と言われて焦ることが多いです。あとは、時間割が分からず、パニックのまま家を出て、結局、遅刻するなど。
全く準備していないのに、修練会に出なければならないという夢も、なかなか怖かったです。
第1位:何度、電車に乗っても、行き先を間違えてしまう夢。
これを、圧倒的によく見ます。何度乗り直しても、正しい方面の電車に乗れないのです。駅の構内や道をぐるぐる歩き回ったり、急いで走ったり、とにかく疲れます。
他にも、仕事柄か、文章を校正する夢を見たりもします。あるときは、寝言まで言っていたようです(起きているときより必死かも?!)。悪夢とまでは言いませんが、さすがに夢の中では休みたいですね……(^^;)
先日の礼拝でのことです。教会長が、説教で、「夢の中でも真の父母様にお会いしたいと、慕うような気持ちで生活しなければならない」という内容の話をしておられました。
そのときは、「そうだよなぁ〜」くらいにしか思っていませんでしたが、数日後、ハッとしました。
〝真の父母様にお会いする夢こそ、いい夢じゃないか!〟
私が想像していた「いい夢」は、雲に乗って空を飛ぶとか、おいしいものをたくさん食べるとか、きれいなお花畑に行くとかいうものだったのです。
そんな幼い自分を反省し、どうしたら夢の中で真の父母様にお会いできるかを考え、実際にやってみました。
1回目は、寝る直前に、真の父母様のお写真を見ながら、み言を訓読しました。しかし、結果は、ダメでした。
2回目は、み言を訓読したあと、「真の父母様の夢を見させてください!!」と、一生懸命にお祈りしてから寝ました。しかし、結果は、またダメでした。
3回目は、真の父母様の映像をたくさん見ました。映像は、強烈にイメージとして残りそうなので、今度こそ夢でお会いできるかと思いきや、やっぱりダメでした。
考えが甘すぎるのは分かっていながらも、期待していた分、ちょっと落ち込みました。しかし、ふと、思ったのです。
〝一日の中で、神様と真の父母様を思う時間が増えた。それ自体が幸せなのではないか〟
夢の中で真の父母様にお会いするのも、もちろん幸せなことです。でも、その前に、まず日々の生活の中で、1分でも、1秒でも長く、神様と真の父母様を慕い求めていくことが大事だと思いました。
礼拝で、教会長が語られていたことの意味が、分かったような気がしました。
私たちがお会いしたいと思うより先に、私たちに会いたいと待ってくださっている神様、真の父母様です。あとは、私が行くだけなのだと、気づかされました。
こうして親子の心情関係が深くなっていけば、意識せずとも、夢の中でお会いできるようになるのかもしれません。
その境地を目指して、まずは日々の生活から、変えていきたいと思います。
芙