『世界家庭』では、周藤健先生(43双)の証し「真の父母と共に歩んだ人生」を連載しています。
6月号は、第7回「1970年代初頭、韓国での真の父母様との心情的な出会い」です。
△真の父母様と周藤先生(1971年頃、清平)
ここでは、たくさんの貴重なエピソードの中から、一つだけ抜粋してお届けします。
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真のお父様は、近くの小さな韓国食堂に入られました。私もそこに入ろうとしたとき、右側に焼き栗屋があることに気づきました。焼いた栗を一握りずつ新聞紙に包んで、置いてあったのです。
そのときは、秋も終わりに近づき、冷たい風が吹いていました。晩秋のソウルはとても寒いのです。おそらく零下になっていたと思います。私は、焼き栗を買って食堂に入り、真のお父様に差し上げました。
すると、真のお父様は私たちに2つずつくらい下さってから、ご自身も食べ始められました。私も、皮をむいて、渋皮を取って、少しかじってみたのですが、〝しまった〟と思いました。
その栗の、まずいこと、まずいこと。食べられたものではないのです。水っぽくて、味が全くありませんでした。
私は、〝しまった。こんなにまずい栗を差し上げてしまった。本当に申し訳ないことをした〟と思い、周りの先生方をちらっと見ました。すると皆、もう、何か、複雑な顔をしておられるのです。私も、ほとんど食べる気がしませんでした。
ところが、真のお父様はそれも、「うまい。うまい。これは、うまい」とおっしゃって、食べてしまわれました。結局、ほとんどお一人で栗を二包み食べてしまい、それから食事をされたのです。
どうして、あの栗をおいしいと言われるのか、私には理解できませんでした。そのようなことを、韓国の先生方に尋ねることもできません。私としては、神様に祈るしかありませんでした。
あとで、ずっと祈ってみると、間接的に聞いた、韓国で真の父母様の食事を担当していた婦人の話を思い出したのです。
それは、真のお父様は、おいしくないものも、心から「おいしい」とおっしゃいながら召し上がるという話でした。
毎日、毎食、食事を担当していれば、時に、あまりおいしくできないこともあります。それでも、お父様はおいしく召し上がるそうです。それは、作ってくれた人のことを思ってとか、そのようなことではなく、本当においしく感じられているということでした。
つまり、真のお父様は、作った人の心情、真心、精誠を感じて、おいしく召し上がるというのです。
同時に、もう一つ思い出したのが、1965年1月に来日されたときのことです。
このときのご来日で北海道に行かれたとき、ある人が、真のお父様に最高級のタラバガニを準備しました。ところが、お父様は箸を付けられなかったのです。
あとから、お父様がぽつりとおっしゃったのは、「あれは、捧げた者の心情が良くない」ということだったそうです。それで、召し上がることができなかったのです。
これらのことを考えてみたとき、私が買ってきた栗は非常にまずかったのですが、涙の心情でお捧げしたものでした。ですから、真のお父様は、その心情を味わってくださったのだと悟ったのです。
真の父母様は、心情の香りを嗅ぎ、心情の色合いを見分け、心情の味を味わい、理解してくださるお方なのです。
――――――
なぜ、周藤先生は真のお父様に、「涙の心情」で栗をお捧げしたのでしょうか。
実は、この出来事の前に、もう一つ重要なエピソードがありました。
真のお父様は、韓国の先生方と周藤先生を伴って、映画館に行かれました。周藤先生は、お父様の真後ろに座りました。
皆が泣いたり笑ったりしながら作品を楽しむ中、韓国語の分からない周藤先生は、目の前に座っていらっしゃるお父様の頭をずっと見ていたそうです。
すると、あることが起き、周藤先生は衝撃を受けます。そして、涙が止まらなくなったというのです。
一体、何があったのでしょうか。
気になる証しの全文は、『世界家庭』6月号(74〜81p)をごらんください!
*編集部から*
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