今年の4月、韓国の釜山市長選挙で日韓トンネルが話題になりましたが、覚えていますか? 日韓トンネルとは、日本と韓国を海底トンネルで結ぶという壮大なプロジェクトです。
このプロジェクトは、今からちょうど40年前にスタートしました。1981年の11月10日、韓国で、文鮮明総裁が「国際ハイウェイ・日韓トンネル構想」を提唱されたのが始まりです。1982年には「国際ハイウェイ建設事業団」が設立され、佐賀県唐津市などで調査や工事が行われてきました。
私は、35年ほど前に、初めてその唐津市(当時は佐賀県東松浦郡鎮西町)の工事現場に取材に行ったことがあります。そこでは、調査斜坑と言われるトンネルが400メートルほど掘り進められていました。青函トンネルの工事で活躍した技術者たちが、今度は日韓トンネルのために生涯を捧げるべく黙々と働いていました。
〈ボーリング調査〉
〈唐津の調査 斜坑掘削〉
〈唐津の調査 斜坑掘削 作業員〉
〈唐津の調査 斜坑現場 1987年頃〉
〈唐津の調査 斜坑現場 打ち合わせ〉
そして20年ほど前、再び唐津市の工事現場を尋ねました。その時、工事は行われていませんでした。現状維持の状態でした。
さらに5年前、唐津、壱岐、対馬の現場へと足を運びました。やはり工事は止まったままでしたが、いつでも工事ができるように土地が整備されていました。地元の方々が手弁当で草刈りなどに参加してくださったおかげです。
その一方で、日韓トンネル推進のための全国的な組織が結成されました。各都道府県の有識者や地方議員など、多くの賛同者が集い、国民運動に発展しました。国家プロジェクトに格上げされるまで、あと一歩という段階まできました。初期の頃から尽力されてきた国際ハイウェイ財団の梶栗玄太郎会長(2012年12月聖和)の悲願が成就したのです。
しかし残念ながら、35年前のトンネル掘削が進む光景は、今では見ることができません。当時を思い起こせば、あの唐津の工事現場の作業員が忙しく働き、活気あふれる様子がまぶたに浮かびます。
私は、活力を失っていく現在の日本の姿を日韓トンネルに重ね合わせながら、これからの日本はどうなるのだろうか、と将来が心配で、不安な気持ちでいっぱいでした。
そんな時、文鮮明総裁の次のようなみ言に出会いました。
「梶栗さんが日韓トンネルを掘り続けているから日本は大丈夫だ」
「日本が日韓トンネルを掘らないなら、先生が一人で対馬から掘る」
そうだ、神様はたった一人でも責任を果たしてくれる人を願われているのだ。より公的な立場で為に生きる人、自分の生涯を天に捧げて働ける人。そういう人を神様は必要としているのだ。私はこのみ言に出会えて、とても嬉しく、力づけられました。
今は、息子さんの梶栗正義会長が梶栗玄太郎会長の遺志を受け継いで、頼もしくこの運動を推進しておられます。梶栗会長を先頭に、私たちが力強く日韓トンネル推進運動に励み、責任を果たしていくならば日本は大丈夫なのだ。私はこのように、み言を理解しました。
神様が与えてくださった国際ハイウェイ・日韓トンネル構想には、日本と韓国を一つにするという大きな効果があります。一刻も早く、国家プロジェクトとなって、日韓両国の平和と発展に寄与できる道になることを願っています。
進め!日韓トンネル。
・(Webサイト)日韓トンネルプロジェクトを推進する国際ハイウェイ財団
・(映像)世界三大投資家ジム・ロジャーズ氏が注目するビッグプロジェクト