夏も終わり、秋になってまいりました。
少し、時期が過ぎてしまいましたが、夏の神様との思い出として「セミ」の話をしたいと思います。
*セミが苦手な方はご注意ください(^0^;)
夏の風物詩でもあるセミ。
みなさまは、セミはお好きですか?
私は小さい頃からセミが大好きでした。
夏休みになると、母の実家がある岡山に行っては、セミをたくさん捕まえてカゴに集めていました(笑)
そんなある年の台風が来る夜でした。戸締まりをするために裏の戸を確認したら、なんとセミの幼虫がいるではありませんか。
雨の中、羽化するのも大変だろうということで、室内(といっても、土足で入れる土間のようなところ)で羽化を見届けることにしたのです。
当時、小学生だった私は、「セミの羽化」を自由研究のテーマにして、写真を撮ったり、観察をつけたりしました。
幼かったこともあり、最後のほうは眠気と戦った記憶が強く、よく覚えていません。
それでも、あのときの記憶は、大きくなった今でも大切な思い出として残っています。
しかしその後、セミの幼虫を見かけることはなく、ましてやセミの羽化を見る機会はありませんでした。
家庭を出発し居住地を変えて、初めての夏を迎えました。
ある日、仕事の帰り道に通る公園の地面を、セミの幼虫が歩いているではありませんか。
人の通るところであったため、踏み潰されないかと心配になった私は、近くの木の幹にとめてあげることにしました。
ですが、ふと「このまま連れて帰って家の植木鉢にとめたら、そこで羽化してくれないかなぁ?」と思ったのです。
その後、3回にわたってセミの幼虫を連れ帰り、羽化を見届けました。
〔そんなにタイミングよく見かけるとは思わず、我ながら驚きました。そして、連れて帰っては、あまりにもそわそわしたり、写真を撮ったりするものだから、主体者には「構いすぎないように、そっとしておいてあげてね」と言われてしまいました(笑)〕
1回目は、朝方りっぱな成虫になった姿を見ただけでしたが、2回目、3回目は、殻から出てきてすぐの美しい白衣をまとった姿を見ることができました。
そのセミたちの姿を見て、改めて神様の創造の偉業と自然の神秘を感じることができました。
セミたちは、誰からも教えられていないのに、より天に近いところへ登ろうとします。
そして、羽化したてのセミはとっても繊細で簡単に壊れてしまいそうでもあります。
しかし同時に、どんなに強い風が吹こうとも、負けじと自らの抜け殻に、そして木の枝に掴まる強靭さを備えています。
そんな両面の姿をつくられた神様と、一所懸命に生きようとするセミの姿に“生き方”を考えさせられます。
小さい頃は単純にセミが好きで、見ているのが楽しかったのかもしれません。
しかし、大人になってみると、また違った観点で見つめることができます。
子供の頃に好きだったことに再び触れてみることで、小さなときとはまた違った気づきに出合うことができました。
『星の王子さま』に
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない)」
とあります。
そして聖書には
「幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」(マタイ18:3)
とありますね。
日々の生活の中で、忘れがちな子供のときの心を思い起こして、自然の中にひそむ神様のすがたを探していきたいと思います。
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礼