天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
(旧約聖書・伝道の書、3章1節)
仕事で「天が下」の読み方が、「あめがした」なのか「あまがした」なのかを調べていたとき、たまたま見つけた聖句です。
聖書学について詳しいわけではありませんが、純粋にいい聖句だなぁと感じました。
思い返せば、私が祝福を受けたタイミングも「時」だったと思います。
2017年の祝福式に参加しましたが、主体者が祝福に向けて準備を始めたのは2014年だったそうです。
ですが、信仰観や家庭に対する考え方が一致する方と、なかなか出会えなかったとのこと。
その頃、私は大学に入学したばかり。
在学中に祝福を受けたい思いはありましたが、学業やサークル活動、慣れない留学生活で疲弊し、祝福に向けた準備まで気が回りませんでした。
大学に慣れ、余裕も出てきた2015〜2016年。
そろそろ準備をと思っていましたが、なんとなく「私の相手は、今はいない」という気がして、結局相手を探すことなく、この年を終えました。
後々、主体者に聞いたら、ちょうどこの頃は仕事が忙しく、残業時間が月100時間の日々が続き、祝福準備どころではなくなってしまったそうです。
そんなこんなで、お互いの環境が整った2017年に出会い、無事にその年の祝福式に参加することができました。
お互いのことをそれぞれ待っていたんだなと思います。
すべてのわざには時がある。
「いつが時なのか」は、その時にならないとなかなか分からないものですが、神様が準備した「時」に、いつでも対応できるよう備えておきたいものです。
さて、この春、部署異動がありまして、次回からこの「祝福体験記」を後輩に引き継ぐことになりました。
この異動も神様の「わざ」であり、「時」なのでしょう。
つたない文章にもかかわらず、今までたくさんの「いいね」を押してくださり、本当にありがとうございました!
今後ともお客様によりよいものを提供できるよう、努力してまいります!
※よろしければ、「いいね」ボタンを押していただけると、新しい部署で頑張る力になります(^^)