光言社 編集者ブログ

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2020年01月09日

私の祝福体験記①「祝福への抵抗がなかった訳」

13回にわたって、「編集員の備忘録シリーズ」を続けてきましたが、今回から「私の祝福体験記」にテーマ変更をします! こちらの方が読者の皆様に喜んでいただけるのかなと思っての変更です(^^)

私の両親は6500双で、3人兄弟の真ん中として生まれました。年齢は、そうですね……アラサーです。

あくまで一信徒の感じた内容ですが、親世代の方は温かい目で、同世代の方は共感の思いで、お読みいただけたらと思います。

 

2017年の祝福式で祝福を受けましたが、それまでの20数年間「祝福を受けたくない」と思ったことは一度もありませんでした(私の記憶が正しければ)。

「教会に行くの、めんどうだなぁ」「神様って、本当にいるのかな?」という疑問を抱くことは多々ありましたが、「祝福」に関しては抵抗がなかったように思います。

 

これといった要因は分かりませんが……、考えられるものとしては、両親の仲がいいことだと思います。


父は時々、車を運転しながら聖歌や愛唱歌を歌います。

「止めても止まらない火の玉だ ぶち抜け敵陣」で始まる「ぶちぬけ火の玉」を歌いながら、信号機が黄色から赤に変わろうとする交差点を突き進みます。私が「そこは止まらないと!」と突っ込んでもやめません。※まねをしないでください。

 

母は反面、常識がありますが、時々のんびりとした発言をします。

ある日、震度5を超える地震があり、私が慌てて家の外に出ると、母が自叙伝伝道からちょうど帰ってくるところでした。「お母さん! 地震だよ!!」と言うと、「あら、地震だったの? 立ちくらみかと思ったわ~」と言って笑っていました。私はあきれて何も言えませんでした。

 

せっかちで少し変わっている父と、のんびりで常識ある母という真逆な性格。「祝福でなければ出会わなかっただろう」と言えるくらい真逆です。

ですが、その全く違う点がうまく補い合っているんだと思います(たぶん)。同じ教会の食口から「ご両親は、仲がよくていいですね」と言われることもあり、「祝福って、いいものだ」と漠然と思っていました。

また、子供目線で考えると「過保護でもなく、放任でもない。見守ってくれている」そんな両親です。父も母も子供に関心を持っていて、入学式や授業参観などの学校行事には、二人とも来てくれていたのを覚えています。


父は仕事があっても、2~3時間だけ仕事を抜けられるように調整してもらって、作業着姿で授業参観に来ていました。二人も来ていて恥ずかしいと思ったときもありますが、内心嬉しく思っていました。

「自分たちのことを、片方に任せっぱなしにしていないか」ということを子供はけっこう敏感に見ています。授業参観のたびに仕事を休めない方も多いと思いますが、子供に関心を持ち、それを表した行動をすれば、きっとお子さんにも伝わるのではないでしょうか?

 

次回は、2月13日(木)に更新予定です。

 

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