8月10日号に、ドミニカ共和国の国家的メシヤ、河野高志先生(777家庭)の宣教手記「ドミニカ共和国に対する神の希望」を掲載しました。
河野高志先生と妻の貞子さん(ドミニカ共和国在住)
この証しには多くの反響があり、中でも以下で紹介するNさんとSさんは、40数年前に河野先生にお世話になったというかたでした。編集部から河野先生にお知らせしたところ、メールを通して感動の再会が実現したのです。
お2人から河野先生宛に送られたメールの一部を紹介します。
○47年ぶりに再会したNさん(福島教区 70歳・男性)
「河野様とお会いしたのは、1968年、国鉄(当時)福島駅前の噴水付近です。(職場からの)帰路の待ち時間のことだと思います。何を話したか覚えておりませんが、2、3度はお会いしたかと思います。『原理講論』(現在も所持)を購入し、総序に感銘を受けました。その後、河野様からは福島在任中に1度、秋田に赴かれてからも1度、年賀状を頂きましたが、それ以降は消息不明となってしまいました。
その後、私は結婚し、2人の子供に恵まれました。そして今度は妻が導かれたのです。こうして私は教会と再会し、既成祝福を受けることができました。2人の子供も祝福を受け、息子は公務に就いています。
現在まで紆余曲折がありました。いろいろな事情で去って行った仲間、氏族からの反対など走馬灯のように浮かんでまいります。時の流れを痛感致します。生かされている間に、悔いなきように日々“為に生きる”を信条として、真の父母様の分身としての歩みを重ねたいと思っております。河野様に万分の一でも近づけるように、みちのく福島にて頑張ってまいります」(10月1日)
○44年ぶりに再会したSさん(兵庫教区 62歳・男性)
「(修練会に出た)当時、私は18歳で世間も分からぬ浪人生の身でした。教師になりたいと思っていたこともあり、河野講師のどこからともなく香る人格の高さ、講義の分かりやすさ、整理された板書、自然と調和した天にも通じるような祈りなど、どれをとってもそれまで私が接したことのない素晴らしい教師像に見え、まずは『原理』よりその人格の香りに惹かれたのでした。そして3日修、7日修と進むうちに、何か分からない大きな力が背後から働いて私を前に押し出そうとするような、また、心に神様と真の父母様の焼き印が霊人体に押されるような、強烈な感動と使命感を感じました。
(最近、信仰の親である兄を霊界に送り)この道が容易ならぬ険しく厳しい、全生涯をかけてもまだ足りない道であることを、今さらながら痛切に感じております。そんな時に、神様と共に『原理』のみ言を注入してくださった河野講師の渾身の『宣教手記』を読ませていただき、懐かしさとありがたさが高揚して、当時の感動を反芻しつつ短い感想を光言社に送った次第です。それが河野先生の元に届くなどとは夢にも思いませんでした。
中米ドミニカで流された汗と涙が大きく花を咲かせ、実を実らせて天と真の父母様をお喜ばせすることのできる実績と伝統を築いていってほしいと、遠く日本より祈念します」(10月19日)
河野先生は「証しを読んだ人の中から、世界中の誰か1人でも、私のことを思い出して、連絡してくれる人がいてくれたらいいのになあと思っていました。そんな夢のような話が現実となりました」と、編集部に感謝のメールを送ってくださいました。
晶