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スマホで立ち読み Vol.2
『よくわかる勝共理論』(12)
孤独な幼少期

 「ほぼ5勝共」でおなじみの中村学氏の『よくわかる勝共理論~日本と世界の平和のために』。混迷する時代の今だからこそ、しっかりと読んでおきたい一冊。
 すでに読んだよというかたも、まだ読んだことがない、知らなかったというかたも、みんな立ち読みオーケーです。

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中村 学・著

(光言社刊『よくわかる勝共理論』より)

第二章
マルクスの動機

孤独な幼少期
 それでは、マルクスの生涯について見てみましょう。

 マルクスは、今のドイツに当たるプロイセン王国のトリール市で生まれました。一八一八年ですので、日本でいえば、江戸時代末期の頃です。

 両親は共にユダヤ教徒で、ラビ(宗教的指導者)の家系でもありました。日本ではユダヤ教に馴染(なじ)みが薄いのですが、日本的に両親共に神社を守る神主の家系と言い換えればイメージしやすいでしょうか。

 ヨーロッパでは、長い間ユダヤ教は大変な迫害を受けていました。「ユダヤ教徒である」というだけで財産を没収され、国外に追放される、処刑されるということも珍しくありませんでした。そしてその目的が、単にユダヤ教徒の財産を奪うためであることも少なくありませんでした。そんなことが許されるほどに、ユダヤ教徒は厳しく迫害されていたのです。

 なぜ迫害されたのかというと、ヨーロッパ全体がキリスト教社会だったからです。キリスト教では、ユダヤ人はイエス・キリストを殺した民族です。だからユダヤ人は、人類史上これ以上ない罪を犯した人々だと考えられたわけです。

 ただ、マルクスが生まれた時代は、フランス革命(一七八九年)で人権宣言が発表された後だったので、迫害はそこまで深刻ではありませんでした。「すべての市民は法の下に平等である」(人権宣言第六条)との価値観が、国境を越えてヨーロッパに広がっていたからです。もっともその価値観は、絶対的なものではありませんでした。

 当時のプロイセン王国では、ユダヤ教徒に対して、キリスト教に改宗しなければ、公職から追放するという命令が下されていました。マルクスの父は弁護士で、トリール市の法律顧問官をしていました。ユダヤ教徒であり続ければ、この職を失ってしまいます。家族はずいぶんと深刻に悩んだでしょう。生活のためにユダヤ教を捨てるのか、それとも信仰を守るのか。両親共に代々のラビの家系だったのですから、大変な苦悩だったはずです。

 結局、マルクスの家族は改宗することに決めました。しかし彼の母はずいぶんと反対したようです。彼女は夫の死後、すぐにユダヤ教に戻っているのです。夫が生きている間は激しい口論になるなど、かなりもめたのではないでしょうか。

 マルクスは、ユダヤ人から裏切り者扱いされるようになりました。「お前たちの家族はユダヤ教を捨てて、キリスト教になった」というわけです。そしてキリスト教徒からは、相変わらずユダヤ人として軽蔑されました。ユダヤ人は改宗してもユダヤ人だからです。

 こうしてマルクスは、ユダヤ人からもキリスト教徒からも軽蔑されました。そして家に帰ると両親がいつも喧嘩(けんか)しています。幼いマルクスを心から受け入れてくれる存在はどこにもありませんでした。こうして彼の心には、強烈な孤独感、不信感、反抗心が植え付けられていったのです。

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 次回は、「私は真の凶暴に占有された」をお届けします。


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