2025.03.07 17:00
心情開拓
心霊を育てる生活原則(198)
原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。
李耀翰・著
21 神を喜ばせる生活
恨の心情
「良い父母や良い師に巡り合うことができなかった。その自分の過去が悔しい」、このような思いは一生胸に残ります。そのような思いを韓国では「恨(ハン)」と言います。恨を抱いている人は、のどの渇いている人と同じです。貧しさに恨を抱いている人は、自力で家を建てます。知識に恨を抱いている人は、負けん気になって勉強します。恨を抱いている人は、どんな逆境に立っても、貫いていくのです。
しかし、恨を抱いていない人、心配することがない人は、神様が助けてあげることができません。何かを失ってしまったり、失敗した時には、それが恨として心に残らなければなりません。
韓国人は、悲しみが多いのです。皆さんの血の中にも恨があります。ただそれが自分では分からないだけです。韓国人は歴史上、悔しいことを多く受けてきました。ですから悔しい歴史、恨の多い歴史をもち、涙が多いのです。このような涙ぐましい民族の中に、神様は一人の方を送られました。この国が受けてきた悔しさを神様は、御自身が受けてこられた悔しさに連結しようとされました。それは有り難いことです。私たちは悔しさを受けたけれども、そのような神様の意図で、この民族は救われるようになったのです。
イエス様はこの地上に来られて、祭司長と民族に会おうとされましたが、彼らが反対したために、らい病患者、孤児、娼婦など、悔しさの多い人たちと会われるようになりました。その人たちは同じ民族の人からは見下されたり、疎んじられましたが、イエス様によって救われたのです。私たち韓国人もこれらの人々と同じです。悔しいこと、涙ぐましいことをたくさん受けてきたのです。
そして、摂理の恨を抱いてこられる真の御父母様と会って、正しい主従関係を結ぶようになりました。私たちの中にも恨が血統的に流れているのです。
しかし、この恨を横的に濫用してはなりません。恨は蓄えなければなりません。腹が立っても、耐えきれないほどに悔しくても、我慢して恨の原動力を豊かに蓄え、それを抱いてじっとしていなければなりません。そして、自分の目的に向かっていく原動力としなければなりません。それは、決して爆発させたり、反発したり、相手にうっぷんを晴らしてはならないのです。悔しい時、人間は大きな過ちを犯します。恨のゆえに、悪の実を結ぶことも、堪え忍んで善の実を結ぶこともあるのです。それは私たちの責任です。
お父様は幼い時、学校や教会に行って、言うに言えない悲しいことにたくさんぶつかったそうです。そのたびに、「私が将来責任者となった時にどうなるだろう」と思われながら、恨の心情をたくさん蓄えてこられました。お父様はそのような恨を爆発されずに、あすのために蓄積してこられた方なのです。
恨をたくさん抱いている人は恐ろしいです。私たちは恨を抱くことによって、義人として称えられる路程を開拓していかなければなりません。そして極めて小さな葛藤(かっとう)や悲しみなども、自分を発展させる原動力として蓄えなければなりません。
恨を蓄える方法
ところでどうすれば蓄えることができるのでしょうか。神様や父母様のことを考え、比較したならば、これは問題にならないほど易しいことです。自ら一大決心をして、天に蓄えておけばいいのです。神様のみ名を通して蓄えるのです。悲しみや苦しみを横的に無駄使いしないで、自分の一生の原動力として使えるように蓄えるのです。そのようにして、蓄えられた恨のことを「義」というのです。義とは、恨を神様に連結させることです。イエス様は十字架上で亡くなられた時、悔しかったはずです。しかし、イエス様は、十字架上で亡くなられる直前まで、み旨を不信せず、義の道を立てられ、恨を蓄えられたのです。このような秘法を皆さんによく知ってほしいのです。
皆さんは、苦痛の中、あるいは人から無視された中においても、神様のみ旨を中心として、自分のすべての逆境を神様に連結させなければなりません。これが信仰者の、しかるべき姿勢です。苦しいといって不平不満を言うことは、神様を無視する行為です。「自分が受けている悔しさや苦しみのゆえに、神様がどんなに悲しまれていることか」という恨の心情をもたなければなりません。そうすることによって、神様を喜ばせることができ、自分の人生を成功へと導くことができるのです。
(『統一世界』1990年9月号より翻訳転載)
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次回は、「目的意識をもつ生活」をお届けします。