https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4294

心情開拓
心霊を育てる生活原則(195)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』〈200549日第3版発行〉より)

20 神のみ旨を推し量ろう

▲李耀翰先生

義のある人とは

 世はこのような法則を知らなければなりません。皆さんは、これからこのような法則を知って、どんな逆境にぶつかっても、それを喜んで受け入れて越えていかなければなりません。整えられた良い環境で義人として扱われるのではなく、差別されたり、苦しみを受ける環境にあっても不平不満を言わず、すべてを受け入れて消化すれば、神様も驚いて義人として扱わざるを得ないのです。

 神様はみ旨の上で決して過ちを犯されませんでしたが、現れた結果を見た場合には、過ちを犯したように見えるのです。アベルを愛し、カインを憎んだということは、矛盾した現実として思われるのです。

 結果的にカインは過ちを犯しましたが、神様は既にカインが愛の減少感を感じるだろうということを知っておられました。しかし、カインがもし、そのようなことを全然表さずにアベルよりももっと孝行息子になったならば、神様も感動するのです。

 義のある人とはどのような人をいうのでしょうか。それは冷遇されながらも、それを喜んで受け入れていく人です。神様は、神様に忠誠を尽くす人に対しても、罰を下したり逆境に押し入れたりされる場合があります。

 家庭から追い出されたヤコブが、ベテルで石を枕にして自分の生涯を考えたとき、どれほど惨めであったことでしょうか。ヤコブはいつも疎外されていました。ヤコブは家では僕(しもべ)の生活をしながら、父母の前には孝行息子でした。兄のエサウには、いつも心を痛めていましたが、弟としての責任は果たしていました。そのように真心を尽くして家事を手伝っていましたが、兄エサウから追い出されたのです。

 孝行息子であるヤコブに、このような不幸が起こるはずがありません。しかし、ヤコブは兄から追い出され、母方のおじラバンの家に行くようになりました。その時でさえ、ヤコブは一言の不平も言わず、疑いもせず、胸に希望があふれていました。落胆せざるを得ない立場にあっても、むしろ希望をもっていたのでした。これを見て神様はびっくりされ、ヤコブを訪ねてお供されたのです。義のある人として扱われるには、ヤコブのような行動を見習わなければなりません。

 良い環境の中で義人として扱われることは、だれにおいてもできる易しいことです。価値を認められているのに、どうして義人として扱われないのでしょうか。父母が子供を等しく愛していて、不平を言う子供がいるでしょうか。不公平に扱われたとき、大方の人は、その心に悔しい思いがわいてきます。これは正に、私たちの体の中に隠れていたカインの性格の要素が、現れたものなのです。

 主体者が不公平に扱うのには、理由があるのです。神様が人それぞれに対して、不公平な立場に立つのには理由があるということを知っていると、義のある人生を過ごすのに非常に役立ちます。

---

 次回は、「お父様の行かれた道」をお届けします。


◆『心情開拓』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ