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心情開拓
心霊を育てる生活原則(194)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』〈200549日第3版発行〉より)

20 神のみ旨を推し量ろう

▲李耀翰先生

環境の中の存在

 私たちは、お互いに相対関係を維持しながら生きています。一つの個体として特に意味をもつのではなく、私たちの存在は四位基台をもって生活することによって、意味があるのです。いうならば、私たちは環境の中にある存在なのです。

 相対関係において「義のある人」と言われるのは、人々との関係に良い影響を及ぼす人です。そのような人は、秀でるとか目立ったりしませんが、相対的関係から見た場合、他の人に劣らないのです。

 大体の人は、特別な事情がない限り、このような関係が維持できます。健康状態が良くないとか、病人で入院するなど、自分の生活において他の人と同じ歩調で前進できないのは、血統的な原因があるからです。それは横的というよりも、縦的な原因による蕩減(とうげん)なのです。

カイン・アベルは血統的原因

 聖書には、アベルは神様から愛されたが、カインは見捨てられたと記されています。一般的に人々は、アベルとカインは神様から等しく愛されるべきであると思います。兄弟が差別なく、同じ立場で、愛されなければならないと思うのです。しかし、カインは神様の目から外され、アベルは愛されたというのですから、これほど不公平なことがあるでしょうか。

 同じ環境にいながら、神様は羊をささげたアベルの供え物を受け入れ、穀物をささげたカインの供え物は受け取られなかったということは、カインの立場からはどれほど不公平に見えたことでしょうか。

 私たちもこれと同じように、自分は頑張ろうと努力していても、神様や周りから疎外されていると感じることがあります。これは血統的なところに原因があります。カイン、アベルは同じ母親から生まれたのだから、神様も同じ立場で接するべきなのに、一人を愛し、もう一人を憎んだとは本当に理解し難いことではないでしょうか。

カインの身の処し方

 それでは、このように差別されたカインはどのように対処すべきだったのでしょうか。神様から差別されても、憎まれる状況にあったとしても、横的に不平を言わずに黙々と自分の環境を克服し、責任を果たしたならば、ある期間を経て回復することができ、神様の愛はカインに向かうことができたことでしょう。

 カインは、「アベルはあんなに愛されて、私はなぜこんなに憎まれなければならないのですか」と抗議するのではなく、ただ我慢すべきだったのです。アベルが神様から愛されたのは、アベルがかわいいからではありません。

 ですから、カインは神様の心を推し量らなければならなかったのです。そこで不平を言うと、条件に引っ掛かるのです。すべてそうせざるを得ない理由があるのだろうと思いつつ、これを喜んで受け入れ越えたならば、カインは神様から義人として扱われたのです。神様はそのような人を義人として扱わざるを得ません。これが逆境にある人のもつべき心持ちなのです。

 神様がカインを不公平に扱ったとしても、カインは過ちを犯すべきではなかったのです。神様は二人の兄弟を差別して愛しました。平面的に見れば、神様が過ちを犯したとも思われます。カインにとって、この扱いが神様の過ちであると思われたとしても、カイン自らは、「私は絶対過ちを犯さない」と覚悟しなければならなかったのです。近視眼的に見ると、神様が過ちを犯したように見えますが、神様は何も過ちを犯しておられません。

 このことが分からないので、世の中は乱れているのです。カインとアベルの不平等は、血統的なところにその原因があるということを、世の中の人々は知らないのです。人々は、「すべての人間は一律に平等でなければならない」と言うのですが、果たして人は一律に平等であることができるでしょうか。

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 次回は、「義のある人とは」をお届けします。


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