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宣教師ザビエルの夢 80

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第六章 ザビエルの願いをたずねて

三、ザビエルの願い

●日本への愛
 ザビエルは、日本と日本人を尊敬し愛しました。日本に渡るに当たっては、できる限りの情報を集め、宣教の方法を考慮し、聖書や教理書の日本語による翻訳も計画の中に加えました。この国の王への贈り物も買いそろえて、宣教許可を受ける備えとしました。

 日本人一般の有徳、賢明さを褒めましたが、一方で不道徳な習慣が見いだされた時は、厳しい叱責(しっせき)を加えています。それらは、神と人への愛に端を発していました。ザビエルは、この国の宣教は神のみ旨であるととらえました。神の願いがそこにあり、天地万物の創造主である神がこの国を愛しているととらえ、その道を開くためこの地に降り立ったのです。

▲井戸端で説教するザビエルの像(山口市)

 ザビエルは、日本が「神の国」となることを望んでいました。キリスト教の主要な祈りである「主の祈り」では、「み国が来ますように。みこころが天に行なわれるとおり、地にも行なわれますように」と祈ります。それは、単に「キリスト教国」になることを指してはいないようです。むしろ隣人愛に努める人々であふれる国とでもいったらいいでしょうか。ですから、ザビエルの願いをたずねれば、己を犠牲にしても、わが家をおいても他のために尽くすキリストの愛を表す者が、ここにもかしこにも住む国を願ったのに違いないのです。そのような民の集う国は、また世界のために尽くす国にもなるというのです。

 そして、日本人の賢明さと有徳は、天の父の愛を知るとき、より一層高められると信じたのです。それゆえ彼は、後続の宣教師には、学識があり、忍耐強く、徳の高い人物を要請しています。言葉と行いの一致、宣べ伝えられる福音がその人格ににじみ出て、神の愛が感じられる人物。「聖なる司祭」ザビエルは、そのようなモデルとしてこの国に来ました。イエス・キリストによって洗練された器は、またあらたな器を生み出す型となったのです。

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 次回は、「キリストに倣いて」をお届けします。


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