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宣教師ザビエルの夢 81

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第六章 ザビエルの願いをたずねて

三、ザビエルの願い

●キリストに倣いて
 日本におけるキリスト教史450年を振り返るとき、最初の宣教師フランシスコ・ザビエルに似た有徳の人物たちが多く現れました。また、死をも恐れず神のみ旨に殉じていったキリストに似た者たちが、絶えることなく続いてきました。しかし今日のこの国は、情欲と退廃、怒りと暴力、不安と死に責め苛(さいな)まれているように見え、先人の願いとその実りを見いだすのが困難な状況です。個人も家庭も利己的になり、国もまた孤立化の危機に瀕(ひん)しているようにも思えます。

 「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(『新約聖書』マタイ福音書16・26)

 ザビエルを覚醒(かくせい)させ、また彼も幾度となく繰り返したこの言葉は、魂の救済は個人が他者へ開かれることであり、国際社会で国々のために生きる決意を促しているかのようです。ザビエルの来日を記念する節目に当たり、苦難の道を歩んだ先人たちの思いを想起し、それをわが思いとして、新しい未来に向けた転換を図ることができればと念願するものです。

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 「宣教師ザビエルの夢」は、今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。


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