2025.01.20 22:00
宣教師ザビエルの夢 77
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)
白石喜宣・著
第六章 ザビエルの願いをたずねて
二、二つの出会い
●マラッカでの出会い
彼がリスボンを船出したとき、彼の胸には日本宣教の意志がまだなかったようです。というよりも、日本についてほとんど何も知らなかったというのが、実際のところです。その彼が日本宣教を決意し、実際に来日するのは、一人の日本人との直接の出会いがあったからだといえます。ザビエルと最初に会い、また彼を日本に案内した男は、アンジローまたはヤジローと呼ばれています。
ヤジローは鹿児島出身の身分のある人で、若いとき故郷で人を殺したため、ポルトガル船に乗って逃亡してきた人物であるといわれています。彼は、その罪のため良心の呵責(かしゃく)に苦しみ、その苦しみから解放される道を求めて、「聖なる司祭」とうわさに聞くザビエルのもとを訪ねたのです。
ザビエルは、知的好奇心旺盛(おうせい)なヤジローに大いに興味を覚え、ひいては日本人に限りない希望を見いだすのです。ザビエルが日本人への宣教の可能性をヤジローに問うと、彼の答えは「すぐには信者にならないだろう」というものでした。なぜなら、「(日本人は)まず初めに私にいろいろと質問をし、私が答えたことと、私にどれほどの知識があるかを観察するだろう、とくに私の生活(態度)が私の話していることと一致しているかどうかを見るだろう」というのです。(河野純徳訳、『聖フランシスコ・ザビエル全書簡Ⅱ』平凡社、1994年)
そのときから、ザビエルに日本宣教の夢が芽生え、実現に向けて次第に準備が整えられていくのです。それは、ヤジローをゴアにある聖パウロ学院に送り、教理を学ばせたことでもうかがえます。そのヤジローは、そこで洗礼を受けてからは「パウロ・デ・サンタ・フェ(信仰のパウロ)」の名前で呼ばれています。
ザビエルの心に具体的な日本人像を抱かせた、彼との出会いがなかったならば、日本とキリスト教の出合いは、おそらく数年は後れたことでしょう。
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次回は、「サン・トメでの祈り」をお届けします。