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心情開拓
心霊を育てる生活原則(190)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』〈200549日第3版発行〉より)

18 主従関係の愛

▲李耀翰先生

良い主従関係

 本来人間は、主従関係の心情的な因縁を通して、神様の存在を実感するようになっています。人間は、本来神様に仕える心をもっているのです。

 「信じましょう。信じなければなりません」とは、どういう意味でしょうか。これは、仕えるべき方と関係を結ばなければならないということです。このような関係のない人は不幸です。自分勝手で放縦な人は、不幸です。

 幸福な人とは、どういう人でしょうか。主従関係の良い人は幸福です。尊敬する人をもっている人は幸福です。尊敬する人によって自分の責任を果たし、その人から褒められると、必ず幸福の道へと導かれるのです。

 ですから、尊敬する方によって結婚すれば、幸福な家庭になるのは言うまでもありません。自分勝手に結婚すると、危険なのです。

 私たちは幸福の原因をよく知らなければなりません。神様とは何でしょうか。主従関係の愛を神様と呼ぶのです。主体と対象の関係を結んだ時に、自分の心からわき上がってくる愛が、神様から来る愛なのです。主体と対象の関係の中で、心からわき上がってくる力が、神様から来る恵みであり、啓示なのです。神様との関係の中で、アベルと良い関係を結べば、心がうれしくなるのです。

 主従関係が良ければ、能動的に奉仕したくなり、目的をもって生きたいという愛着心が生まれるのです。主従関係がしっかりとしてさえいれば、根本的姿勢ができているので、あらゆるものを大切にするようになるのです。

 心が正しくなければ、極めて自分勝手になります。自分勝手な人に「きれいに掃除しましょう」と言って、聞くでしょうか。「国を愛しましょう。木を愛しましょう」などと、どんなスローガンを掲げても無駄です。姿勢が正しくない人は、どんなに注意をしても、実践しません。姿勢が良ければ、注意をする必要はありません。みなきれいにしようと思うからです。ですから、心の姿勢が問題なのです。

愛の法度による関係

 神様とは何でしょうか。自分の中に神様の本性があって「私が神様である」というようになるのです。なぜそうなるのかと言えば、関係性をもって見るからです。髪の毛をつかんで、「あなたはだれですか」と聞いてみると、「私だ」と言わず、「髪の毛だ」と答えるでしょうか。髪の毛は「私」と関係があるので、「私である」と言うのです。同じように、私たちも神様との関係をもっているので、自分の中に神様が臨在するのです。イエス様が、「私を見た者は、父を見たのである」と言われました。神様と関係が結ばれているイエス様を見れば、神様を見たことになり、またイエス様を信じれば、自分の中に神様が宿るのです。

 ですから、良い関係が結ばれれば、自分の中に相手が、相手の中に自分が宿るようになるのです。自分と相手とは二人ではなく、私であると同時に、あなたであるのです。相対性をもって関係を結べば、そのようになるのです。男性の中に女性が、女性の中に男性が宿るようになるのです。

 それゆえに、他人の犯した過ちも自分の過ちであり、他人の善き行いも自分の誇りとなるのです。人を勝手に、あれこれと判断してはいけません。やたらと悪口を言ってはいけないのです。なぜかと言えば、自分の中にも悪いものがあるからです。

 このような関係を通し、根本的な正しい姿勢をもって、お互いに他人のことを許し合いながら、愛の法度による関係を結んでいきましょう。

(『統一世界』19905月号より翻訳転載)

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 次回は、「自分に勝とう」をお届けします。


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