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心情開拓
心霊を育てる生活原則(191)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』〈200549日第3版発行〉より)

19 自分に勝とう

▲李耀翰先生

原理的主管性

 社会で秩序を無視するようになると、主管性が崩れてきます。家庭で例を挙げてみると、父母がいて、兄弟がいて、そこには秩序があります。その位置は変えることはできません。

 例えば食事をする時も、親が先に箸をつけてから、子供たちが食べ始めるのです。親よりも先に子供たちが食事をする時は、親の承諾をもらわなければなりません。「私は学校に行かなければならないので、先に食事を頂きます」と言われなければなりません。このような秩序が家庭に、社会にも必要です。そのことは一般的には礼儀といい、「原理」では主管性といっています。

 この原理的な主管性が壊れた時に、即、サタンが私たちを主管しようとしてくるのです。ですから主管性を無視して、自分勝手に行動する人をサタンは主管しようとするのです。そういう人を神様は干渉することができません。神様から命じられ、承諾を受けた立場に従うならば、神様はいつも責任をもたれます。神様が「行きなさい」と命じられて従った行動ならば、それは自分勝手の行動ではなく神様による行動なので、神様が責任をもってくださるのです。

 それゆえ、私たち信仰者は、たとえいかなる所に行ったとしても、「だれからここに呼ばれたのですか」と聞かれたならば、「神様がここに送ってくださいました」と言えるような心構えが必要です。それが神様による信仰であり、自分勝手に行動してはならないというのです。信仰者はいつもこのことに気をつけて、深く悟らなければなりません。

 私たちが神様に祈祷する時、動機が横的であったならば、神様は応じることができません。つまり、他の人が真心からある行動をするのに、自分はただ単にその人を見聞きして行動するならば、自分の心の中心が揺れていることになるのです。自分がただ受動的にその行動を受け入れることは、一種の誘惑されたようなことで、問題が生じるのです。

 ですから聖書では、「自分自身を知って、他の人に誘惑されないように。他人がやるからといってまねをしてはならない。自分が動機とならぬ他の人の行動に従ってはならない」などと戒めています。堕落論によれば、神様は、アダム・エバに対して「取って食べてはいけない。お前はこのように生きなさい。神様の主管に従いなさい」と言われました。

 このような戒めをアダム・エバに与えたのは、アダム・エバが神に相談しなければならない責任があったからです。エバは天使長が何と言って誘惑してきても、「神様がそのようにおっしゃったのですか」、「神様に聞いてみましょう」と言ったならば、天使の言ったことがうそであることが判断できたのです。

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 次回は、「霊界の作用」をお届けします。


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