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シリーズ・「宗教」を読み解く 348
イグナチオ・デ・ロヨラの霊性⑯
宣教師派遣の要請に応えたイエズス会

ナビゲーター:石丸 志信

 「イエスの示現」が与えられたイグナチオは、イエスが使徒に託した使命を自らにも託されたと受け取った。
 そこで彼は、同志らとローマに集い、観想と熟慮の末に新しい修道会を設立することを決定した。

 当時、修道会を新たに設立することは制限されていたが、彼らがイエスから託されたミッションを遂行するためには、どうしても修道会の基盤を整える必要があると考えたからだった。

 この会の使命は教皇に対して忠誠を誓い、その命ずる所ならば、世界のいかなる国にも出かけ、宣教と教理教育に努めることであった。入会志願者は皆「霊操」を受けた後、試験を受けることが求められた。
 これを明記した会則を起草し、教皇の認可を求めた。

 時の教皇パウロ3世(1468年2月29日~1549年11月10日、在位は1534年10月13日~1549年11月10日)は、自らの強いリーダーシップによって主導的に教会改革を進めてきた人物だった。

 イグナチオらが提出した草案を読んだ教皇は、「神の指がここにある」と見て、認可を与えることにした。
 1539年に口頭で認可を与え、翌年に正式に認可した。

 この間に、早くも彼らへの宣教師派遣の要請があった。
 海洋の覇権を握るポルトガル国王はインドに植民地を開き、その地のさらなる教化のために、有能な宣教師の派遣を教皇に願い出た。

 白羽の矢が立ったのがイグナチオと同志らが設立したばかりのイエズス会だった。
 二人の宣教師、ボバディリャとロドリゲスがインドに派遣する宣教師に選ばれた。ところがボバディリャは出発前に重い病気にかかり、インド派遣は不可能と判断された。
 そこで急きょ代役として選ばれたのがフランシスコ・ザビエルだった。

 実はこの時、ローマの本部にいたイグナチオの下には、秘書のフランシスコ・ザビエルしか残っていなかった。他のメンバーは、すでにヨーロッパ各地に出かけて活動していたからだ。

 そしてザビエルはイエズス会の精神を体現し発展させることのできる指導者として、手元において教育している時でもあった。
 イグナチオはザビエルを呼び、事の次第を告げた。イグナチオにとって苦渋の決断だったに違いない。

 「これはあなたの仕事だ」

 こう言われたザビエルは従順に、「お受けします。用意はできています」と答えた。
 すぐさま支度を整え、再び帰ることのない宣教の旅に出発した。

 その後ザビエルは、インドから東南アジアの島々、そして日本へと宣教開拓の歩を進め、やがて「東洋の使徒」と呼ばれるようになる。



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