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宣教師ザビエルの夢 75

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第六章 ザビエルの願いをたずねて

一、建てかえられた神殿

●真の神殿であるイエス・キリスト
 しかしながら、時の首相が所信演説の中で、この国のあるべき姿として「富国有徳」を掲げたのは、崩壊の後に訪れる復興の兆しかもしれません。

 かつてイエスは、過越(すぎこし)の祭を前にして、エルサレムの神殿に上ったとき、境内で売り買いする人々を追い払いました。そのためユダヤ人から非難を浴びたのですが、イエスは「この神殿を壊してみよ。3日で建て直してみせる」と言って、人々を驚かせました。「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだった」と福音書は解説しています。(『新約聖書』ヨハネ福音書2・13〜22)

 イエスの命を懸けた公生涯の結末、それは十字架の死を越えた復活であり、人類の救いの道でした。救い主の歩みは、聖堂の崩壊と復興の中に、今も重なりあって見えてきます。

 ザビエルは、わずか2年3か月でこの国を去り、二度と再び生きてこの地を踏むことはありませんでした。しかし、彼のあとを追って多くの宣教師たちが日本を訪れ、量り知れない影響を残していきました。四ツ谷の駅(東京都千代田区)に降り立ち、そこにそびえる聖堂(聖イグナチオ教会)を見るときにも、それをはっきりと感じざるをえません。彼の生涯もまた、イエス・キリストに似て、死と再生の力を秘めていました。

 彼らの功績に頭(こうべ)を垂れ、感謝するとともに、より一層、彼らの抱いたもとの願いに迫り、その完結に務めていきたいと思うのです。

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 次回は、「パリでの出会い」をお届けします。


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